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第12話

カプセルホテル型コインランドリー


 靂は完全に泥酔状態で、自分のCPUではもうボディをコントロールできなくなっていた。  だから、私は彼女をおんぶした。  すると、全身から――正確には、彼女の制服から――シロップが染み出して、私の制服の背中を濡らしていった。  駄菓子屋で血のようなシロップまみれだった彼女の顔はきれいにしてあげたが、服まではどうしようもない。自然乾燥を待つしかないか……。  いや、コインランドリーに行けばいい。  CPUの中で電球が灯る。  道を歩きながら、表示板のような案内標識を見つけ、立ち止まる。  そこにはこの村の全体図が描かれていた。小さな村の全貌――それを私は画像データとしてメモリに保存し、コインランドリーの位置を探す。  だが、地図には明示されていない。  ならば、社会環境学的に推測するしかない。 「この辺りだろう」と計算し、足を向ける。  およそ四十五秒――ほどの超長い時間をかけて歩くと、そこに確かにコインランドリーがあった。 「……あった」  思わず声が漏れる。まさか本当にあるとは。  こんな金星の僻地の小さな村に、都会的な施設がちゃんと設けられていることに、私は素直に感心した。  そして、計算でここを見つけた自分に、ほんの少し誇らしい気持ちを覚える。  背中で、酔っ払いの靂が寝言のように何かをつぶやいているのを聞き流しながら、私はコインランドリーの扉を押し開けた。  中には誰もいなかった。  私と靂、たった二人きり。  改めてここに来た理由を思い出す。  靂の服がびしょ濡れだから、それを洗わない限り彼女の酔いも冷めないだろうと考えたのだった。  つまり、まずは靂の制服を洗うこと――それに、おんぶしたせいで私の制服も汚れてしまったから、どちらも洗濯するしかない。  けれど、服を脱ぐのは気が進まなかった。  そして、靂の服を脱がせるのも――もっと気が進まなかった。  どうすればいいのか。  室内を見回すと、見覚えのあるロゴが目に入る。  ここは、私が火星で暮らしていた頃によく見かけた「トロピカル・ナイト・シティ」に本社を置くコインランドリーのチェーン店だった。  ニュースで、この企業が金星にも事業を拡張したと聞いたことがあったが――まさかこんな僻地にまで進出しているとは。  いったい、どんな拡張戦略をとればこんな場所にまで足を伸ばせるのか。  理解はできないが、こうして私たちのような客が実際にいるのだから、少なくともビジネスとしては成立しているのだろう。  とにかく、中はどこかユニバーサルというか、宇宙的というか——広々とした宇宙のような空間だった。  暗い暗い宇宙の背景の中、無数の星屑がきらめき、その光が壁面全体を濃い紫色に染めている。  典型的というか、無難というか、当たり障りのない「それっぽい」デザイン。そんなインテリアの中、金星の熱気を無視するように、しっかりと暖房が効いていた。  ——夏なのに、暖房をしている。  ばかげたコインランドリーだった。  大型のドラム式洗濯機がずらりと並び、客の姿はまったくないのに、ほとんどの洗濯機が動いている。せっせと回転しながら、中の衣類を泡立てていた。 「この村の人たちは家に洗濯機もないのか」と思いつつ、ふと自分の新しい住まい——アンモナイトの留守を預かっているあの家——には洗濯機があるのだろうか、と不安がよぎる。  心細さを抱えながらも、私は空いている洗濯機を探して歩いた。  しかし、なかなか見つからない。  店内は広く、洗濯機の列がどこまでも続いている。  見上げれば、上の階層にも延々と機械が積み重なっていて、まるで何十階にも及ぶ巨大な塔の内部にいるようだった。  全部合わせたら、きっと何十万台もの洗濯機があるに違いない。  そのとき気づく。——ここは金星でも、火星でもない。  まったく別の空間なのだ。  この店に入るということは、物理的な建物の内部に入ったのではなく、どこか別の世界へテレポートしたということ。つまり、このコインランドリーは、すべての支店がひとつの内部空間でつながっている——そういう仕組みなのだと理解した。  思い返せば、以前、火星で利用したときの内部とまったく同じだった。  つまり、どこの惑星から入っても、同じ「場所」に接続される。  この太陽系のあらゆるヒューマノイドたちが、同じ空間の洗濯機を共有している——そう考えると、これだけの数でも納得がいく。  だから私は、空いている洗濯機を探して、ひたすら歩き続けた。  靂をおんぶしたまま、ちょうど三年。  やっと、ひとつだけ空いている洗濯機を見つけることができた。  その三年間、靂はずっと酔っぱらったまま私の背中で眠り続け、私は歩き続けた。  ふたりとも鮮血のシロップに濡れたまま。  幸い、それがエネルギー源となっていたので飢えることはなかったが、あまりにも長い時間が経ちすぎて、空いている洗濯機を見つけたときには、私のCPUはほとんど限界だった。  ようやくたどり着いたのに、ドアを開けて中に入ればすべてが片付くというのに——その最後の一歩が、もう踏み出せなかった。  洗濯機の前で、私はひざまずいた。  かろうじて手を伸ばし、ドアノブを掴むことはできたが、それ以上は動けない。  そのまま、長い年月に凍りついた銅像のように固まっていると、背後から——  小さな、小さな音がした。  それは、たとえば花が夜のあいだにしぼみ、朝になって太陽光を求めて再びゆっくりとつぼみを開くような——そんな、柔らかくて、かすかな音。  靂が、目を覚ましたのだ。  私は声をかける。  もう声以外、つまりスピーカー以外は何ひとつ動かせない。けれど、こうしてまだ声を出せることが、奇跡のようにありがたかった。 「起きた?」  およそ〇・五秒の沈黙ののち、彼女の声が返ってきた。  状況を把握しようとする再起動のような間をおいて、微かなワクワクとざわめきを含んだ声で。 「ここ、どこ?」 「コインランドリーだよ」  なぜ、とは訊かれなかった。  彼女のメモリが正常なら、それはすぐに理解できるはずだ。  次の瞬間、彼女の全身がびくりと硬直するのが、背中越しに伝わった。筋肉のような人工繊維が一斉に引き締まる。 「ごめん!」  完全に覚醒した彼女は、慌てて私の背中から降り、私の正面へと回り込む。  固まったままの私を見下ろしながら、再び状況を把握しようとする——そんな動作だった。  だから、今の状況を整理すると——  私は靂をおんぶしたまま、片手で洗濯機のドアノブを掴んだ姿勢で固まり、そのまま何らかの理由で動けなくなっていた。  入ろうとしたのに入れず、ただ時間だけが過ぎていった。  長い、途方もない年月が。  靂は、固まった私と、自分の体——もう“びしょぬれ”というより、血が乾いて赤いペンキのように固まったボディ——を交互に見つめた。  まるで赤く塗装された彫像のような自分と、私の背中を見比べてから、やがて彼女は静かに手を伸ばし、代わりに洗濯機のドアを開けた。  それから、驚くほど軽やかに私を持ち上げた。  彼女の力は十分すぎるほど強く、まるで雀の羽でも摘むような仕草で、私を洗濯機の中へと入れてしまう。  そして、続けて自分も中に入り、ドアを閉めた。  ——その瞬間。  内部のスピーカーから、機械的なアナウンスが流れた。 「コースを選んでください」  靂が、少し戸惑った声で私に尋ねる。 「黽君、どうする?私、コインランドリーって一度も使ったことなくて……」  その言い方が妙に可愛くて、どこか田舎娘めいた素朴さが漂っていた。声の響きが、湿った空気の中でふわりと広がる。  私はできる限り平静を装って答える。 「羽毛布団コースで」  靂が「羽毛布団コース」のボタンを押すと、小さく電子音が鳴った。  さて——説明が遅れたけれど、この洗濯機の中は“カプセル”のような構造になっている。  ちょうどカプセルホテルの一室のようなサイズで、二人が横になって入るには十分な広さがあるが、立ち上がるには狭い。  その、ほどよい閉塞感が保たれている。  内部は落ち着いたアイボリーの色調でまとめられ、まるで高級客船の一室のようでもあり、同時に宇宙船のコックピットのようでもあった。  やがて次のアナウンスが響く。 「洗剤は自動投入です」  その声に続いて、天井の中心部——ブラックホールのような円い穴——から、淡いペールブルーの光を放つ粉が降り注いだ。  それはまるで細かな砂のように私たちの上にふりかかり、私たちはまるで料理の下ごしらえをされる食材のような気分になった。  粉は静かに積もり、私たちは横たわったまま、全身を柔らかい光の粒に包まれる。  次に、ふんわりとアロマのような香りが漂ってくる。  上品で穏やかなハーブの香り——その香気が鼻をくすぐった瞬間、私は悟った。  これは、ヒューマノイド用の“睡眠剤”だ。  強制的にスリープモードへと誘う気体状の薬剤。  火星でも何度か体験がある。  つまり——このコインランドリーでは、水の代わりに“眠気”を使って洗濯をするのだ。  眠気という溶媒で、内部のシステムをリセットし、記憶の汚れを落とす。  そういう仕組みのクリーニング。  だが、ひとつだけ問題があった。 「どうしよう……」  靂の心配げな声が、だんだんと意識が遠のく私の聴覚センサーに届く。 「私、今までずっと寝てたから……。全然眠くならないんだけど」 「大丈夫だよ」  私は眠気のなかで曖昧に答える。 「完全に眠れなくてもいい。目を閉じて、寝たふりをしてるだけで洗濯できるんだ。CPUが消費するエネルギーの八割は視覚処理だから、目を閉じるだけでも十分になる」 「そうなんだ……」  彼女はほっとしたように微笑み、それから——  どこかいたずらっぽい、茶目っ気のある表情に変わった。 「目を閉じなかったら、どうなるの?」 「それは分からない」  私は正直に答えた。 「さすがに洗濯されに来て、目を開けたままっていうのは非常識だろう。いや、非常識というか、夜ふかしでもするつもりか?」 「まあ、もともと私は夜行性だし」  靂が、くすっと笑いながら返す。 「じゃあ、私は自分の身で実験してあげる。目を閉じないまま、完全に起きたまま洗濯されたらどうなるか」 「起きている間、何をするつもりだ?けっこう退屈になるぞ」 「それは大丈夫」  その答えとともに、彼女の顔にまたあの茶目っ気のある表情が浮かんだ。  ようやく分かった。あの表情の理由。 「このまま、黽君の寝顔を見てるから。退屈なんてしないよ」 「……」 「興味津々だよ」  私はすでに、ほとんど眠りに落ちかけていた。  スリープ状態に入る直前、最後の力をふりしぼって問い返す。 「寝顔を見るだけなのに……。何がそんなに興味津々なんだ?」  そのとき、彼女はそっと私の耳元に顔を近づけ、まだ少し血の香りを残した甘い声で囁いた。 「知らないの?夢見るヒューマノイドの笑顔が、世界でいちばん面白いんだよ」  その言葉の続きを聞く前に、私は完全に眠りへと沈み込んでいった。