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第14話

天王星に一番似合う感覚


澂は、恋死体のボディに満たされた酒を、一息で飲み干した。  躊躇いも、呼吸も挟まず、一気に。

 だが、物理的な容量(キャパシティ)の限界がある。  17歳女性設定のヒューマノイドのボディサイズを考慮すると、内部循環している液体の総量は、人体換算でおよそ4〜5リットル。対する澂のボディに、それだけの液体を一度に貯蔵するスペースはない。  当然、大半はこぼれることになる。  彼の口元からは黄金の液体がだらしなく溢れ出し、顎を伝い、首筋を濡らし、高価なラウンジウェアを祝杯の染みで汚していく。それは摂取というよりは、全身を使った沐浴に近い惨状だった。

 空になった恋死体を、澂は飲み干した空き缶をゴミ箱へ放るような手つきで、無造作に突き放した。

 ポンと捨てる。  ドサッ。

 捨てられた恋死体は、翼の折れた鳥が墜落したような呆気ない音を立てて、プールサイドのタイルに崩れ落ちた。  無惨に、惨めに、ただのガラクタとして。

 その光景を見て、澂はようやく彼女を「屍(しかばね)」として認識できるようになり、安堵する。  彼はその屍を、何か意味のある敷居でも跨ぐかのようにゆっくりと乗り越え、プールサイドを散歩し始めた。

 少し歩いてから、振り返る。  ダイヤモンドの雨が降り注ぐ中、濡れたタイルには二体の子供型ヒューマノイド――砂糖香と潮湖――が、廃棄されたBLTサンドのように重なり合って倒れている。  そこから十歩ほど離れた場所に、首が90度に折れた恋死体の屍が横たわっている。  そしてその近くでは、主を失ったチェーンソー傘が、バッテリー切れ寸前の魚のように、弱々しく痙攣していた。エンジン音は既にか細く、とぼとぼとしたアイドリング音だけが虚しく響いている。

 まずは、あの傘を畳んでやらなければ。  あまりに不憫に思い、澂はチェーンソー傘に近づいて拾い上げた。  かつての狂暴な勢いは消え失せ、完全に枯れ果てている。もはや何の脅威でもない。足首などを切り落とされる心配もなく、刃花弁(ブレード・ペタル)はしおれ、鋭さを失っていた。  試しに刃に指を滑らせてみたが、皮膚素材すら切れない。血液代わりの潤滑油が滲むこともなく、ただ茶色い錆のような粉が指先に付着するだけだった。  澂はチェーンソー傘を丁寧に畳み、プールの方へと放り投げた。  放生(ほうじょう)。 「次の生(ライフ)は、こんなプールサイドじゃなくて、ちゃんとした森林で生まれ変われよ。そこで本業を全うするんだな」

 澂はプールに背を向け、ペールブルーの血痕が散乱するタイルを数秒間だけ散歩した。

 黙々と歩き、ふと立ち止まると思索のポーズを取る。  ロダンの『考える人』のように、あるいはかつてイノベーションを起こした伝説的な起業家がプレゼンテーションで見せた仕草のように、顎に手を当て、首を僅かに前傾させる。  その知的で深遠なポーズのまま、改めて自邸のプールサイドを鑑賞してみる。

「……気が散る」

 自ずと不満が漏れる。  視界に入る情報があまりに散漫だ。  死体、破壊されたガラクタ、飛び散った液体スパーク。このままでは優雅な散歩など望むべくもない。  掃除が必要だ。  だが、澂は生まれてこの方、清掃など一度もしたことがない。すべては砂糖香たちに丸投げしていたが、その家事用ロボットを一気に二体も機能停止させてしまった。  その惨状を目撃した他の使用人ロボットたちがいたとしても、恐れをなして逃走してしまったに違いない。

「誰か、いるか?」

 念のために声を張り上げてみたが、応答はない。気配すら感知できない。  この広大で孤独な、超ラグジュアリーな邸宅の中で、澂はとうとう一人になった。  完全なる独りぼっち。  その事実がたまらなく心地よくて、澂は製造されて初めて、顔いっぱいに満足げな笑みを浮かべた。  だが、その完璧な笑顔を観測してくれるヒューマノイドは、もうどこにもいない。  それがただただ嬉しくて、たまらなくなる。  たまらなく、寂しい。  寂寥(せきりょう)。この感情こそが、冷たく青い天王星には最もよく似合うと、彼は思う。

 ようやく本来の落ち着きを取り戻したと、澂は完結した気分になった。再びあのデッキチェアに戻り、このプールサイドという絵画の一部として永遠に溶け込みたい。  だがその前に、まずは掃除だ。  この散漫な惨状をリセットしなければ、この絵画は再出荷(リリース)できない。

 澂は掃除道具を探すべく、使用人用の別棟へ向かうことにした。  敷地は広大だが、運転手も逃げ出した今、移動手段は自身の足しかない。彼は見たことはあるが一度も立ち入ったことのないエリアへ向かって、歩き出した。  こうして澂は製造されて初めて、自らの意志でプールサイドを離れることになった。  背後から、三体の屍が死んだ魚の眼でじっと見送っているような視線を感じながら、彼はその場所を後にした。