第10話

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 不意に、モニターの警告音が止まった。
 顔を両手で覆っていた幻は、ハッとして顔を上げた。
 蘇生を諦めかけていた医療スタッフたちがモニターを二度見してざわめき始め、紬の顔を覆っていた白い布を慌てて取り払った。
 幻は椅子から飛び起き、詰め寄るように尋ねた。
「どうしたんですか!?」
「心臓が……また動き始めました!」
 医師と看護師の動きが再び活発になる。
 彼らが紬に酸素マスクを装着し、点滴の針を刺し直す間、幻は彼らを止めるべきか、助けるべきか、激しい葛藤に襲われた。
 結局、何もできずに立ち尽くしているうちに、紬のバイタルサインは落ち着きを取り戻していった。
 医師が明るい兆しを見せて告げた。
「意識はまだ戻りませんが、ひとまず危機は脱しました」
「……昏睡状態、ということですか?」
「ええ。ですが命に別状はありません。安心してください」
 幻は深く、ゆっくりと頭を下げた。
 生きていてくれたことが心底嬉しかったが、底知れない罪悪感に苛まれ、微笑むことなどできなかった。
 医師はそんな幻を訝しげに一瞥したが、すぐにまた紬の処置へと戻っていった。
 その後、紬は個室へと移された。幻は保護者としての事務的な手続きを済ませると、一人で病院を後にした。

 家に帰り着いた幻は、リビングのソファに深く沈み込み、所在なく時間をつぶした。
 静まり返った家には慣れていたはずなのに、今日に限ってはひどく居心地が悪い。
 額を抑えて溜息をつき、ふと窓の外を見る。
 夜空に浮かぶ満月が、なぜか恐ろしいほど間近に迫って見えた。
 夕食の時間はとっくに過ぎていたが、空腹など微塵も感じなかった。シャワーを浴びるのさえ億劫で、何もしたくないし、何をする必要もない。
 ただ、じっと座り続けていた。
 そんな中、ふと我に返ると、いつの間にか窓の外は朝の光に包まれていた。
 翌朝なのか、あるいは数日後の朝なのかさえ、判然としなかった。
「どうでもいい……」
 幻はソファから立ち上がった。
 一睡もしていないはずなのに、意識はかつてないほど冴え渡っていた。
 彼は物置部屋へ向かい、中をかき回した。しばらくして、釘とハンマー、そして一束のロープを見つけ出すと、それらを持ってリビングへと戻った。
 幻は椅子の上に立ち、壁の適切な高さに釘を打ち込むと、そこにロープをかけた。
 端を首が通る輪の形に結び、それを自分の首にかける。
 準備を整えた幻は、深く、長い息を吸い込み、固く目を閉じた。
 しかし、いざとなると足元の椅子を蹴り飛ばすことができなかった。
 ――怖い。
 本物だろうが偽物だろうが、死への恐怖は平等に襲いかかってくるようだった。
 それでも幻は、母のことを思い出して自分を奮い立たせ、再び深く息を吸った。そして、今度こそ椅子を蹴ろうとした、その瞬間。
 閉じる直前の視界に、あるものが飛び込んできた。
 庭の片隅に立てかけられた、一台の自転車。
 誕生日に母がプレゼントしてくれたものだった。
「……」
 幻は氷水を浴びせられたように、ハッと正気に戻った。
 そして、奏汰から告げられた言葉を思い出す。
『紬は、君だけは消せないんだ。消せないだけじゃない、消そうともしない。なぜなら、この夢は君一人のために作られ、維持されているから』
 幻は考える。
 もし自分がここで死んだら、この世界はどうなるのか。
 そして、母はどうなるのか。
 事態が好転する予感は、微塵もしなかった。自分が死ぬことは、母に致命的な悪影響を与えるだけではないかという確信があった。それに、いざ死のうとしても、この世界の主である母がそれを許してくれるとも思えなかった。
 幻は結局、首からロープを外し、椅子から降りた。
 気づけば、額には冷や汗が滲んでいた。
 手の甲で適当に汗を拭い、彼はソファに崩れ落ちる。
 張り詰めていた糸が切れた途端、麻痺していた眠気が一気に押し寄せてくる。
「じゃあ、一体俺にどうしろって言うんだよ……」
 虚空に問いかけるが、返事はない。
 窓の外からは鳥のさえずりが聞こえ、リビングには朝の暖かな日差しが差し込んでいる。
 時計を見れば、もう登校の準備をしなければならない時間だった。
 制服を着たままだったが、家を出る気にはなれなかった。指一本動かしたくないほどの疲労が全身を支配している。
 ひとまず眠り、それからもう一度考えよう。
 幻は人生で初めての無断欠席を決め込み、そっと目を閉じた。
 眠気はかつてないほど甘美で、彼は間もなく、気絶するように深い眠りへと落ちていった。

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