第15話

I Know Waltz


 中に入ると、街の喧騒が一気に消え、まるで巨大なクジラが浮上してブリーチングするかのように、異なる質感の音が私と迅璃の周りに広がった。
 クラシック音楽だ。
「……ワルツ?」
 私がその音楽を適当に推測すると、迅璃が横で頷く。
「うん。今日はワルツの日みたい」
「ワルツの日って、どういう意味?」
 迅璃は口で説明する代わりに、いきなり私の両手を掴んだ。
 今までは一緒に歩くため、幼馴染のようにつないでいた片手だったが、今度は違う。
 正式に、正面から向き合い、両手を合わせるようなポーズだ。
 その姿勢で、迅璃が何をしようとしているのか、すぐに理解した。
「踊るつもり?」
 私が尋ねると、迅璃は両手を握ったまま、さらに近づいてきた。
「黒点百貨店では、ショッピング中にただ歩くのはダメなの。すぐ怖い警備員に追い出されるよ」
「なんで?」
 呆れたように聞くと、迅璃はまるで自分がここの経営者かのような、ちょっと偉そうな表情で説明した。
「ダンスも踊れないダサいヒューマノイドロボットは、うちの客じゃない――それが黒点百貨店の経営者の哲学なんだって」
「まいったな」
 本当に困って周りを見回す。
 そこには、黒いスーツを着た、身長5メートルはありそうな警備員たちがいた。顔は10代の少女のようだが、ボディビルダーよりもがっしりした体格で、そのギャップが恐ろしい。グロテスクと言っても過言ではない外見のヒューマノイドロボットたちが、客を監視していた。
 ホールには、何千人ものヒューマノイドロボットたちが全員ワルツを踊っていた。私は息を呑んだ。
「私、踊れないよ」
「大丈夫」と迅璃が軽く安心させる。「私も踊りは得意じゃない。ダウンロードすればいいよ」
「ダウンロード?」
「うん」
 迅璃は近くを泳いでいた淡いミカン色の小さなクラゲを手に取り、まるで花の香りを嗅ぐようにその頭を鼻に近づけた。
 クラゲは吸われた瞬間、透明になり、蒸発するように消えた。
「ダウンロード完了。今日のワルツはショパンだね」
 迅璃がダウンロードの手本を見せると、私に促す。
「燏君も早く。踊らないと警備員が来るよ」
「あ、うん……」
 渋々、通り過ぎるコバルト色の小さなクラゲを掴み、ぎこちなく鼻に近づけて匂いを嗅いでみた。
 突然、CPUが過剰反応を起こした。
 まるで自分の意思とは無関係に、トランジスタがスパークを散らし、ハッキングされたかのような感覚だ。0.005秒ほどでその処理が終わり、停止していた思考が再び動き出す。ハッカーに金を払ってロックを解除されたような、腑に落ちない気分とともに、CPUの主導権を取り戻した。
 ふと気づく。
「I Know Walts」
 迅璃が説教するような顔になり、不満げに言う。
「だから、英語は使わないでって。さっきも言ったけど、この街は日本語が標準語。英語が混ざるとコーディングが狂うよ。エラー起こしたらどうするの?」
「エンジニアが何とかしてくれるでしょ」
 迅璃の目がさらにムッとした。
「燏君みたいなヒューマノイドロボットがいるから、エンジニアの離職率が高いのよ」
「ごめん、ごめん」私は軽く謝る。「もう英語使わないから」
「頼むからね。英語は街を出たら存分に使えばいいんだから」
「わかった、わかった」
「じゃ、踊ろう」
「うん」
 私たちは、数人の警備員がこちらに目を向け始めた前で、ワルツを踊り始めた。
 まるでオルゴールのフィギュアのように、ネジが壊れるまで同じ音楽に合わせて永遠に回り続けるかのように。
 ホールはビクトリア時代の舞踏会のような雰囲気に包まれ、古風な空気が漂う。
 皆が息苦しそうなドレスを着ているのを見て、私の焦りが募った。
「私たち、裸のままで大丈夫?」
「別に大丈夫。裸だって立派な服装だよ」
「いや、みんなドレス着てるじゃん」
「このホールの客たちは想像力が足りないだけ。他の階に行けば、いろんな格好のヒューマノイドロボットが見られるよ」
「そうなの?」
「そう」と迅璃が余裕の笑みを見せる。「踊ってさえいれば、何でも許される世界なんだから」
「……」
「それが百貨店の素晴らしいところでしょう?」
 正直、百貨店なんて行った記憶はない。
 記憶喪失でなくても、こんな人混みの空間は性に合わない。
 でも、迅璃と一緒にワルツを踊る気分は最高だった。
「太陽を間近で見たことある?」
 迅璃が踊りの一環として話しかけてくる。これもワルツの一部だとすぐに理解した。
「炎の群れが、まるで踊ってるみたいなんだ」
「いつか望遠鏡で見てみたいな」

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