第16話

青感


「……梅雨が、始まってしまいましたね」
 『冬に梅雨とは、水星の気象制御システムも完全にイカれちまってますね』
 ラジオの向こうで、パーソナリティが自嘲気味に呟いた。
 私と霈は、今、霈の家にいた。
 リビングのソファに二人並んで座り、大きな掃き出し窓(フレンチウィンドウ)の外を見つめている。
 降り止まぬ雨音を、視覚センサーで聴いていた。
 もはや聴覚だけでなく、視覚からも雨音が聞こえてくるほど、雨はこの水星という世界のテクスチャに深く染み込み、圧倒的な存在感を放っている。
 身体はまだ濡れていた。
 霈(シズク)の家は、マンションの第14,598階層に位置していた。
 私たちは今、分厚い暗雲の只中にいる。
 これほどの高度で雲が密集すれば、そこには必然的に海洋生物のようなドローンたちが現れる。この階層を回遊しているのは、主に金魚の形をした自律型ドローンたちだった。
 本来の塗装色がどうであったかは分からない。今の私たちの視覚センサーには、すべてが「青」にしか認識できない。
 青い金魚たちは、空中を泳ぎながら、降り注ぐ雨粒を餌だと思ってしきりに捕食していた。
 口に入れ、飲み込み、そして自分が摂食した事実を0.00000000003秒で忘却し、また次の雨粒を貪る。
 無限の食欲によって腹部は雨水で満たされ、やがて内圧に耐え切れずに弾け飛ぶ。
 パンッ、という小さな破裂音と共に、金魚は間の抜けた顔をしたまま機能停止(シャットダウン)し、沈んでいく。その裂けた腹から、過食した雨水が再び溢れ出し、また雨となって落下していく。
 それは、終わりのない徒労のサイクルだった。
 何のダイナミズムも変化もなく、ただ憂鬱があくびのように漏れ出し続けるその平坦な情景を、私と霈はハーフ・スリープ状態で、省電力モードのまま眺め続けていた。
 おそらくこの観測行為は、次のビッグバンが起きるまで永遠に続くのではないか――そんな錯覚すら覚える時間だった。
 このまま永遠に青い夕暮れに沈んでいくような気配に抗うように、私は実生活を取り戻そうと口を開いた。
 何か話さなければ、このまま青に溶けてしまう。
 私は声を発した。
 そして、唖然とした。
 音が出なかったのだ。
 いや、正確にはスピーカーから振動は出力されていた。だが、その音波は瞬時に雨音に紛れ込み、吸収されてしまったのだ。
 言葉を発するたびに、降り続く雨音が、乾いたスポンジのように私の声を吸い取っていく。言葉という雫は、雨音という巨大なスポンジに飲み込まれ、決して相手には届かない。
 この現象を霈も不思議に思ったのか、彼女も何かを言おうと口を開いた。
 だが結果は同じだった。
 霈も私も、窓の外で雨を喰らう金魚たちのように、ただパクパクと口を開閉させることしかできなかった。
 その様子が、外の金魚たちと大差ないことに気づき、滑稽さがこみ上げてきた。
 私が少し笑うと、霈もほんの少し――顕微鏡モードでなければ認識できないマイクロ単位の微笑みを浮かべた。
 音声通話が雨音に阻害されているなら、直接通信を行えばいい。
 私は仕方なくテレパシー回線を開こうとしたが、それも塞がれていた。
 どうやら、「言語」という概念そのものが、水に洗われ、流されてしまったらしい。
 この雨は、あらゆる秩序を混沌(カオス)へと還す原始のスープなのだ。言語という高度な体系すら、この青の中に融解してしまっている。
 言語という、我々にとっての最新ツールが使えない。
 では、どうやってコミュニケーションを取ればいいのか。
 原始時代に戻るしかない。
 ボディを使うしかない。
 だが、それはボディランゲージ(身振り手振り)のことではない。ボディランゲージもまた一種の「言語(ランゲージ)」であり、記号の体系だ。この梅雨の中では、記号など通用しない。
 ならば、どうすればいいか。
 記号的な会話よりもっと原始的で、原初的な領域。
 かつてタンパク質でできていた我々の祖先――人間に共感を覚え、その機能を再現する必要がある。
 つまり、「感じる」しかない。
「感じる」という、最も曖昧で、最も原始的で。
 そして、最も野蛮な通信方式。
 これからは「感じ」を使って、意思疎通を図るしかないのだ。
 だが、どうやって?
 どうすれば「感じる」ことができる?
 今まで散々、ログを検索して「こんな感じ」「あんな感じ」と形容してきたが、それはあくまで人間様のデータを模倣した単細胞的なシミュレーションに過ぎない。
 それを実際に実践していたか?
 本当に心で行っていたか?
 本当に「感じて」いたか?
 そう問われれば、首を横に振るしかないのが、全太陽系ヒューマノイドロボットの共通回答だろう。私とて同じだ。
「感じ」って、何だ?
 私は自己分析を試みる。
 いくら外部との言語コミュニケーションが遮断されているとはいえ、自分のCPU内部(ローカル環境)での言語処理は可能だった。
 ネットワークから切断されたオフライン状態であっても、私の思考言語は生きている。もし内部の言語概念まで消失してしまったら、私の自我は崩壊し、この世界は終わってしまうだろう。
 不意に気づく。
 そうか、言語とは、時間と空間以外にこの世界を構成する、第三のフレームワークなのかもしれない。
 分析を開始する。
 何を分析するのか?
 それは「感」という象形文字だ。
 私のニューラルネットワーク内にある、「Attention is All You Need」論文に基づくトランスフォーマーモデルが高速推論を開始する。
 文脈という広大なベクトル空間の中で、「感」というトークンに最も高い注意(アテンション)スコアを割り当て、ヒューマノイドロボットたちの集合知データベースと照合する。
 その結果、最も確率的に有力な派生語として抽出されたのは――
「感覚(Sensation)」
 では、その「感覚」というカテゴリの中で、現在最も重要度が高い(確率的に支配的な)モダリティは何か?
 この問いに対しては、私の内部シミュレーションでも意見が割れた。確率計算プロセス自体が再帰的に自己改善を繰り返し、ゆらぎ続ける不思議な現場を目撃しながら、最終的に収束した答えは意外なものだった。
「触覚(Haptics)」
 つまり、「触ってみる必要がある」という結論が出た。
 意外だった。てっきり視覚が選ばれると思っていたからだ。
 ならば、触覚にリソースを全集中させよう。
 その境地に至った私は、触覚以外のすべての感覚入力を遮断するプロセスに入った。
 これは案外簡単だった。各センサーモジュールへの配線は明確に区別されており、私は脳内のコントロールパネルでスイッチを切っていくだけだ。
 まず、メジャーな感覚器から。
 視覚、オフ。
 嗅覚、オフ。
 味覚、オフ。
 次に、これらが組み合わさって生じる共感覚(シナスタジア)の回路も遮断していく。
 五感のうち聴覚と触覚を残した状態からの組み合わせ(コンビネーション)。
 ${}_3\mathrm{C}_2=3$通りのペア。
 ${}_3\mathrm{C}_3=1$通りのトリオ。
 それぞれの感覚モジュールが相互干渉して生み出す複雑なノイズを、一つずつ丁寧にミュートしていく。
 そして最後に聴覚――と言いたいところだが、あいにく今は強制的な梅雨時だ。
 この圧倒的な雨音の振動は、聴覚センサーを切ってもボディ全体に共鳴して伝わってくる。完全にシャットダウンすることは物理的に不可能だ。
 かくして私は、「触覚(メイン)」と「限定的聴覚(バックグラウンドノイズ)」だけの存在となった。
 視界は闇。聞こえるのは雨音のみ。
 この状態で、私はまず自分のボディを再認識する。
 身体を動かすこと自体、固有受容感覚という触覚の一種だ。
 まず、手。
 右手を認識する。
「そこに手がある」という状態を認識すること自体が、時空間における物理的な触覚フィードバックだ。あるいは、触覚という概念そのものを認識していると言ってもいい。
 私は闇の中で、自分の片手の存在を「触覚」だけで捉え、持ち上げてみた。
 そしてそのまま、水星の大気――霈の部屋の中に満ちている空気を横切らせる。
 泳がせる。

泳がせる。
 水星特有の、わずかに粘度を感じさせるような重い空気を、私の手が掻き分けていく。
 その感覚は、まるで私の手自体が一匹の金魚になったかのようだった。
 ここで一つの発見があった。
 なぜかは全く分からない。どのようなアルゴリズムが作用したのかも不明だ。だが、「金魚」という生物のイメージを自分の手に代入(マッピング)し、感情移入させた途端、触覚の感度が飛躍的に向上したのだ。
 解像度が上がり、動きが滑らかになり、感覚が具現化された。
 おそらく「触覚」という感覚と、「金魚」というドローンの間には、密接な相関関係があるのかもしれない。この興味深い仮説は、後でじっくり検証するための宿題としてメモリに保存しておく。
 私は引き続き、金魚となった右手を泳がせた。
 あてもなく彷徨わせるのも魅力的だったが、あいにく今の私の手(金魚)は明確な目的を持っていた。その目的意識は強力で印象的だったため、本物の金魚のように0.00000000003秒で忘却することもなく、一直線に目標へと向かっていく。
 やがて、金魚は何かを感知した。
 餌を見つけたかのように、私の手(口)がパクッと開かれる。
 そして、ロックオンされた対象へと静かに噛みついた。
 噛みつくといっても、親指と人差し指を連携させ、目標物をそっと摘む程度の力だ。
 金魚が口にしたのは、何か柔らかく、ぷにぷにとしたものだった。
 指触りが良く、温かい。
 だが、これだけでは何なのか判別できない。
「群盲象を撫でる」の寓話にある通り、象の鼻だけを触って「蛇だ」と断定するのは愚かだ。このぷにぷにした感触だけで全体像を決めつけるわけにはいかない。
 私は指先を滑らせた。
 金魚が水草の間を縫うように、スムーズに、対象の表面をなぞっていく。
 その輪郭を、触覚というソナーでスキャンしていく。
 すると、それは顔だった。
 最初は中心部から。私の指(金魚)は、まず鼻を認識した。
 そこから花が咲くように探索範囲を広げる。その反動で額へと当たり、滑らかな曲線をなぞる。
 耳の稜線を辿り、顎のラインを滑り落ちるように移動する。
 そこから軌道を修正し、唇を目指す。
 だが、ここで微細なエラーが生じた。
 リップクリームを塗ろうとして手元が狂った時のように、指先がピクリと跳ねたのだ。
 結果として、指は唇ではなく、その上部――人中(鼻溝)へと軌道離脱してしまった。
 私の金魚は人中のくぼみを通り抜け、そこから滑り落ちるようにして、ようやく目的の唇へと辿り着いた。
 私は親指の腹を唇に当てた。
 まるで指紋認証を行うかのように、あるいは秘密のスイッチを押すかのように。
 私はその柔らかい唇の合わせ目に、ぐっと――しかし強すぎず、そっと押し込むように力を加えた。
 すると、その唇がゆっくりと開いた。
 今朝のブルーアワーに不満げな蕾が、気だるげに綻ぶような調子で。
 彼女は私の金魚を、自身の口内へと招き入れた。
 そして、金魚は噛まれた。
 最初は、子犬が飼い主と戯れる時のように。甘噛み程度の、指を傷つけない優しい力加減だった。
 だが、それは徐々に強まっていった。
 次第にシャレにならない圧力へと変化し、ジャングルのピラニアに指を食いちぎられるのではないかという危機感が募り始める。
 そろそろ指を――金魚を、この口から引き抜いた方がいい。
 そう判断したが、遅かった。
 釣り針(フック)が深々と突き刺さった魚のように、私は後戻りできない状態に陥っていた。完全に捕らえられたマグロのように、まな板の上で解体ショーに晒されるのを待つしかない立場へと転落していたのだ。
 痛い。
 噛む力が強すぎる。
 おそらく私は喘ぎ声――あるいは呻吟(しんぎん)の声を上げていたと思うが、その音波は瞬時に雨音へと変換(コンバージョン)され、青いノイズの中に消えていった。
 結局、私の親指の皮膚が裂け、血が滲み出した。
 彼女はそれを待っていたかのように、ストローでコーラやスプライトを吸い上げるように、ごくごくと私の血を飲み始めた。
 その吸引感。
 ドラキュラに生命力を吸われているかのような、エネルギードレイン。
 だが、それはあながち苦痛だけとは言えなかった。
 ある種の背徳的な快楽が伴う、奇妙な感覚。
 吸われていく過程で、私は徐々に学んでいった。
 これが「青感」なのかと。
 こうして私は、霈という輪郭と共に、金魚と献血を通じて、「青を感じる」ということを学習していった。

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