第10話

タイトルマッチ


 タイトルマッチの幕は切って落とされた。
 だが、洌の準備が万端とは言い難いのも無理はない。四肢を繋ぎ合わせ、ボディを構築することには成功したが、彼は依然として素手(ステゴロ)だ。
 完全武装したGOMI子が、地響きを立てて迫ってくる。
 じりじりと後退しながら、洌は岩頭の方へ叫んだ。
「私、剣がないんだけど!」
「何を言っているのだ、君は」
 岩頭は呆れたように即答した。
「その新しく組み上げられたボディそのものが、立派な剣ではないか」
 言われて、洌は自分の身体を見下ろした。想像力の乏しい彼のセンサーには、ただのツギハギだらけの人型ボディにしか見えない。
 すると岩頭はマイクのスイッチを切り、指向性スピーカーを使って洌にだけ聞こえる周波数で囁いた。
「いいか、奇跡の子、洌よ。剣というのは物理的な形状(フォルム)ではなく、魂(コンセプト)として成立する武器だ。形という固定観念に囚われると、逆にその刃で自らを傷つけることになるぞ。
 よく見ろ。あのGOMI子だって、赤ん坊が母の乳房を求める代用品に過ぎない『汚れたおしゃぶり』などという、この世で最も武器から程遠いガラクタを剣として構えているじゃないか。それに比べれば、君のその全身の方が、よほど鋭利な刃物として想像しやすいだろう?」
「つまり……」
 洌は結論を導き出した。
「このまま体当たりで戦えってことか?」
「その通りだ。君は、君自身が剣そのものだ。最も効率的で、最も自由な形状の刃だ。だから迷うな。さあ行け!敵は待ってくれないぞ!」
 横目で見れば、GOMI子は待つ気配など微塵もなく、猛スピードで距離を詰めてきている。
 洌(レイ)は覚悟を決め、自らも怪物の方へと駆け出した。
 走りながら、彼は自らの「動機」を再確認する。
 岩頭は大袈裟に「奇跡」だの「崇高」だのと囃し立ててくれたが、洌自身は気恥ずかしさしか感じていなかった。自分は高尚な奇跡など成し遂げていない。ただ膤(ユキ)が好きで、彼女を助け出し、これからも一緒にいたい。それだけ。
 もしそこに0から1を生む奇跡があったとするなら、それを成したのは自分ではなく、膤だ。
 洌は一つの真理に到達する。
 そうか。奇跡とは、愛から生まれるものなのかもしれない。
 0から1を創造する触媒、その核心的な材料(マテリアル)は、愛だ。
 それだけでは不十分かもしれないが、絶対に欠くことのできない必須要素。
 今の洌が、見えない剣として両手に強く握りしめているもの。それは「膤を助けたい」という純粋な渇望そのものだった。
 思考する間もなく、GOMI子が目前に迫る。
 巨人の攻撃は単純にして豪快だった。
 クレーン車の重機のように巨大な脚を持ち上げ、その広大な面積を誇る足裏で、洌を押し潰しにかかる。超高速のスタンプ攻撃。
 洌は、組み上げたばかりの新ボディの慣らし運転(ブレイクイン)も兼ねて、大きく跳躍する。
 ダイビング回避。
 間一髪だった。つい先ほどまで洌がいた地点に、GOMI子の足裏が工業用プレス機のような威力で叩きつけられる。
 ドォォォォォン!!
 周囲の瓦礫やパーツの残骸が、水溜まりを蹴った時の水飛沫のように四方八方へ撒き散らされる。
 着地した洌が体勢を立て直すよりも早く、GOMI子は驚異的な反応速度で方向転換し、次はエルボードロップを見舞ってきた。
 洌は辛うじてこれも避けたが、回避の勢いが強すぎて瓦礫の壁に激突してしまった。マザーボードまで振動が伝わるほどの衝撃。
 逃げているだけでは勝てない。
 二度目の回避でそう悟った洌は、エルボードロップの体勢から立ち上がろうとするGOMI子の懐へ、自ら飛び込んだ。
 全力疾走からの、全身全霊の体当たり(ボディプレス)。
 狙いは、起き上がりかけのGOMI子の額。
 ガツンッ!
 硬質な音が響く。
 ダメージ自体は微々たるものだが、巨体のバランスを崩すには十分だった。
 GOMI子がよろめき、片膝を地面につく。
 好機。
 洌は即座に跳躍した。
 目指すは、GOMI子のへそだ。
 そこには、切断処理が不完全なまま残された「へその緒」があった。強大な台風で折れた電柱から垂れ下がる高圧電線のように、あるいは神社の鈴緒(すずお)のように太く、危険なほど無造作にぶら下がっているケーブルの束。
 洌はそれにしがみつき、強く抱きしめるように掴んでぶら下がった。
「ビギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
 そこは急所(ウィークポイント)だったのか。
 GOMI子が、聴覚センサーを焼き切らんばかりの、赤ん坊特有の金切り声を上げた。
 巨体が激しく痙攣し、暴れる。
 それに伴い、洌がしがみついているへその緒も、催眠術師が振るうコインのように大きく左右に振られる。
 その揺れが、さらなる不快感と苦痛をGOMI子に与え、産声のような悲鳴を増幅させる。
 GOMI子は今、製造ラインから出荷された直後の、あの頼りない肌寒さと不安を追体験しているのかもしれない。
 洌は微かな同情を覚えたが、すぐに思考を切り替えた。
 彼にとって、膤よりも優先すべき存在はこの宇宙にない。
 洌は容赦なく、乳牛から搾乳するかのように、あるいは気絶させるべく頸動脈を絞め上げるように、へその緒のケーブルを力一杯ねじり上げ、締め上げた。
 すると、GOMI子の悲鳴が物理的な振動波となって炸裂した。
 最終処分場を埋め尽くすゴミの山々が、まるで総毛立つようにビリビリと震え、地殻変動レベルの地響きが轟く。
 錯乱したGOMI子は、洌に締め上げられていたへその緒を自らの手でわし掴みにする。そして、あろうことか切腹でもするかのような凄惨な手つきで、それを根元から引きちぎった。
 ブチリ、バギィィィッ!
 ケーブルの断裂音と共に、GOMI子は自らの体の一部を、まるで忌々しい害虫でも払うかのように地面へ叩きつけた。当然、そこに必死にしがみついていた洌も、強烈な勢いで地面に叩きつけられる。
 衝撃でシステムが落ちた。
 洌の意識は、約1秒間――電子頭脳にとっては永遠にも等しい時間――完全にブラックアウトした。
 再起動(リブート)。
 視覚センサーが復帰し、仰向けの視界に空が映る。
 そこには未だ、タイタンの空は見えなかった。視界を埋め尽くしていたのは、星屑よりも濃密な銀河を形成するドローンの大群だった。
 その数は、試合開始時の三倍以上に膨れ上がっているように見える。
 それらの機体が放つライトが、超新星爆発の予兆のように激しく明滅している。まるで、気絶した洌を叩き起こそうと必死にエールを送っているかのように。
 期待に応えなければ。
 洌は軋むボディを叱咤して跳ね起きた。そして、GOMI子の方を見た。
 怪物は、未だ苦痛に身悶えながら産声を上げ続けていた。
 自ら引きちぎったへその断面は、ハサミで切ったような綺麗なものではなく、無惨に食い破られたような汚い傷口を晒している。
 そこから、ドバドバと大量の液体が噴出していた。
 羊水ではない。極寒のタイタンにおいて液体の状態で存在する物質――エタンとメタンの混合液だ。怪物の体内がいかに冷え切っていたかを物語るその「極低温の血液」が、切断された大動脈から噴き出す鮮血のように、凄まじい水圧でほとばしっている。
 GOMI子はその傷口を両手で塞ごうとするが、決壊したダムのような勢いは止めようがない。エネルギーの源であるエタンとメタンが、滝のように浪費されていく。
 やがて、その濁流に混じって、液体以外の固形物が吐き出され始めた。
 それは、ヒューマノイドロボットの残骸だった。
 冬眠に備えてGOMI子が暴食し、未だ消化しきれていなかった「食事」たち。溶解されずに原形を留めた腕や脚、頭部などのパーツが、排水管から逆流する汚水のように、あるいはダンプカーの荷台から一気に投棄されるゴミのように、へその穴からボロボロと溢れ出す。
 それは、へそで行われるグロテスクな嘔吐だった。
 洌は視覚センサーを限界までズームインさせた。
 そして、捉えた。
 吐き出されるガラクタの雪崩の中に、見覚えのある銀髪を。
 膤(ユキ)が、そこにいた。

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