巨大な蜘蛛は、空中に張り巡らせた銀色の糸を滑るように降りてきた。 無数の長い脚が、まるでピアノの鍵盤を弾くような優雅さで動く中、その一本が突如、槍を投げるような鋭い勢いで私たちに向かって伸びてきた。速度は目に見える範囲を超え、まるで時間が一瞬だけ歪んだかのようだった。 私とカナは咄嗟に反対方向へ飛び、攻撃をかわす。 蜘蛛の脚は、私たちが直前まで立っていた地面に、注射針のように鋭く突き刺さった。その衝撃で淡いピンク色の煙が小さな雲のようにふわりと広がり、月の灰色の地表に儚く溶けた。 「暶君!」 カナの声が、さほど遠くない場所から響いてくる。 「大丈夫?」 「うん、俺は平気だ!」 私も叫び返す。「カナこそ大丈夫か?」 「うん、平気!」 刺さった脚は、まるで蛇が獲物を逃がすのを嫌うように、ぬるりとした滑らかな動きで蜘蛛の本体へと戻っていった。 私たちはピンクの煙を避けながら、互いに近づいた。幸い、二人とも怪我はない。だが、攻撃を避けるために地面に身を投げたせいで、制服は月の砂で泥だらけになってしまった。 「どうしよう……」 カナが少し泣きそうな顔で呟く。 「この服、どこで洗えばいいの?」 「地球に着いたら、きっと洗濯機を借りられるよ。コインランドリーだってあるはずだ」 「じゃ、早く地球に行かなきゃね!」 「うん、でもその前に……」 私は視線を上げ、蜘蛛の本体を睨みつける。 宇宙服に包まれた人型のシルエットが、まるで悠然と王座に座する支配者のように、蜘蛛の中心で私たちを見下ろしている。 「あいつをなんとかしないと、な」 カナもまた、泣き顔を押し殺すようにして蜘蛛を睨み返した。 だが、考える暇も与えられなかった。蜘蛛の攻撃は、まるで嵐の前の雷鳴のように間断なく続いた。最初の脚が地面から抜けるや否や、別の脚が即座に襲いかかってくる。 私たちは慌てて身を翻し、矢継ぎ早に降り注ぐ攻撃を回避するしかなかった。 その攻撃は、まるでにわか雨のように執拗で、巨大な脚の速さは目に見える範囲ではあったものの、休む間もない連続攻撃に私たちは翻弄された。 蜘蛛は意図的に私たちを分断しようとしているのか、攻撃のたびに私とカナの距離がじわじわと離れていく。まるで、運命に引き裂かれる恋人たちのように、否応なく引き離されていく感覚だった。 「暶君!」 「カナ!」 互いに叫び合うが、声は次第に遠ざかる。 ふと、このままカナと永遠に離れてしまうのではないかという予感が胸をよぎった。だが、驚くべきことに、その予感は強い寂しさや嫌悪感を呼び起こさなかった。 私はその事実に、内心で小さく驚いた。 そうか。 このままカナと別れれば、また一人に戻れる。 蜘蛛の攻撃を連続で回避しながら、私は頭の片隅でそんなことを考え始めた。 一人が好きだった。 カナが突然私の人生に飛び込んできて、地球を目指すなんて突飛な計画を思いつかなければ、こんな危険な目に遭うこともなく、月の静かな地表で、まるで廃棄された機械のように穏やかに放電しながら、永遠とも思える時間を過ごしていただろう。 そして、何より、嘘をつく必要もなかったはずだ。 蜘蛛の36本目の脚の攻撃をかわしながら、私は「嘘」について考えを巡らせてみる。 記憶に残る限り、数え切れないほどの年月を生きてきたが、嘘をついたのはカナと出会ってからが初めてだった。それまでは、嘘は死と同義であり、死ぬまで口にすることはないと信じていた。 月の世界では、嘘は最も異質な出来事だ。 嘘という言葉を口にするヒューマノイドロボットすら、見たことがなかった。 学校でも、嘘について学ぶことはなかった。嘘をつかないのが当たり前で、私たちのCPUにはその本能が深く刻み込まれていたからだ。 初めて嘘をついた瞬間を思い出す。 カナに「自分は人間だ」と告げた、あの突飛で途方もない嘘。 107本目の脚の攻撃をかわしながら、私はその記憶を追う。まるで千年も前の出来事のように遠く、どこか懐かしい高揚感に浸り始める。 そのせいか、私は108本目の攻撃を避けきれなかった。左腕に鋭い脚が直撃し、衝撃で地面に倒れ込む。 たかが腕一本の損傷だったが、嘘をつき続けたことによるソフトウェア的なダメージが、着実に私のシステムを蝕んでいた。 カナと出会ってから積み重なった嘘の代償が、私を脆く崩れ落ちさせた。 その倒れ方があまりにも劇的だったのか、蜘蛛が私への攻撃を止める。 すでに息絶えた獲物と見なしたのだろう。だがその代わり、カナへの攻撃が倍増する。 彼女の姿はすでに私の視界から消え、遠くから「暶君!」と叫ぶ声がかすかに聞こえるだけだ。1キロメートル以上離れているかもしれない。彼女の速さでも、私の元に戻るには時間がかかるだろう。それよりも、攻撃が彼女に集中していることが気がかりだった。 腕一本を失い、動けなくなった私は、このままCPUがシャットダウンしてしまうのではないかという漠然とした不安に駆られた。だが不思議なことに、エネルギーが少しずつ回復し始めていた。太陽も発電装置もないこのクレーターで、いったいどこからエネルギーが供給されているのか。 ふと、すぐ隣に目をやると、ひどく損壊した月面ローバーが横たわっているのが見える。 2メートル四方の太陽光パネルが、まるで捨てられた看板のように転がっている。それに、私の危機感知システムが勝手に作動し、脊髄のような部分から細い銅線が無意識に伸び、月面ローバーのパネルに接続されていた。疑問だったのは、太陽光パネルが機能するには光が必要なはずだが、どこから光を得ているのかという点だった。 見上げると、クレーターを照らす無数のスポットライトが、まるでザクロの実のように密集した光を放っていた。その光がパネルに当たり、私の体にエネルギーを供給していたのだ。 徐々に体が回復していくのを感じながら、私は立ち上がる準備を始めた。
約25秒が経過し、身体が完全に動ける状態に戻った。 私はすぐさま立ち上がろうとしたが、迂闊に動けば蜘蛛の注意を再び引き寄せ、攻撃を受けるかもしれない。まずは状況を冷静に把握することにする。 蜘蛛は依然としてカナに狙いを定め、猛烈な勢いで攻撃を続けている。 カナは私からさらに遠ざかり、視界の端でもその姿を捉えるのが難しい。おそらく2キロメートル以上離れているだろう。 彼女は私が回復する時間を稼ぐため、あるいは私が安全に立ち上がって逃げる余裕を作るため、わざと蜘蛛の注意を引きつけているのかもしれない。 そう考えると、彼女の行動に感謝しつつも、心に焦りが募る。 カナのおかげで蜘蛛の攻撃が私に向いていない今、立ち上がるチャンスだ。 私はゆっくりと身を起こし、地面に転がる自分の左腕を見下ろした。切り離された腕は、まるで私のものではなく、ただの物体としてそこに存在している。 その光景は奇妙で新鮮だった。 自分の一部がこんなにも無機質に、独立した存在として転がっているなんて、今まで味わったことのない感覚だ。思わず4.5秒ほど見入ってしまうほど、異様な魅力を持つ情景だった。 だが、立ち止まっている暇はない。 カナは激しく動き回り、エネルギーを急速に消耗しているはずだ。このままでは危険な目に遭うかもしれない。私は一刻も早く彼女の元へ駆けつけなければならないと強く感じた。 試しに3歩進んでみると、身体の均衡がひどく崩れていることに気づいた。両腕が揃っている時には感じなかった違和感だ。左腕を失ったことで、バランス感覚が大きく乱れ、まるで月の重力がわずかに重くなったかのような錯覚に陥る。 ひょっとしたら、これが地球の重力に似た感覚なのかもしれない。 そんな馬鹿げた考えが一瞬頭をよぎったが、すぐに打ち消した。カナにこんな話をしたら、彼女は笑って喜ぶかもしれない、なんて想像もしたが、今はそんな余裕はない。 私は落ちている左腕の前に戻り、そっと拾い上げた。 接続部は幸いにも無傷で、腕は簡単に装着できた。装着の瞬間、まるで長い夢から覚めたような感覚が広がる。腕がしびれて感覚を失い、電流が再び流れ始めて徐々に感覚が戻る――そんな当たり前のプロセスに似ていた。 改めて腕を取り戻した私は、カナのいる方向へ全速力で走り出した。 蜘蛛はあまりにも巨大で、2キロメートル離れていてもその姿ははっきりと見えた。 まず、蜘蛛の注意をカナから私へと引きつける必要がある。私は周囲に散らばる月面ローバーの残骸に目をやり、直径1メートルほどの頑丈そうなタイヤを見つけ、両手で力強く持ち上げた。 そして、蜘蛛のコックピットめがけて全力で投げつけた。 タイヤは宙を切り、驚くほど正確に蜘蛛の無数の脚の一つに直撃し、それを折った。 自分でも驚いた。 これまで自分の身体的な力を試したことはほとんどなかったが、この一撃で自分のハードウェアの頑強さを思い知った。ソフトウェア的には時代遅れかもしれないが、物理的な性能は予想以上に優れているらしい。 この発見に、興奮が胸を駆け巡る。 いい勝負になるかもしれない。 しかし、蜘蛛の脚はあまりにも多い。 周囲にタイヤは豊富にあるが、一つ一つ投げてすべての脚を折るのは現実的ではない。蜘蛛はコックピットを守るため、脚を盾のように構えた。その反応から、コックピットが弱点であることは明らかだった。攻撃の標的が定まったのは収穫だ。 私はもう一つタイヤを拾い上げ、同じように投げつけた。 今度は別の脚を正確に撃ち抜き、折ることに成功した。蜘蛛の注意が完全に私に向いた。コックピットの上に、ブドウの房のようにぶら下がる無数の濃い紫色の目玉が、ギラリと私を睨みつける。その悍ましい視線に、一瞬、意識が飛びそうになるが、旧型モデルの鈍感さを盾に、なんとかその衝撃を振り払う。 蜘蛛が私に向かって突進してきた。 脚の多さゆえにその速度は驚異的で、あっという間に距離を詰めてくる。銀色の脚が絨毯爆撃のように降り注ぎ、単に避けるだけでは対処しきれない。 私は何か防御手段はないかと地面を見回した。すると、さっき私にエネルギーを供給してくれた太陽光パネルが目に入る。 盾として使えそうなサイズだ。 私はそれを拾い上げ、蜘蛛の脚の攻撃に構えた。 パネルは2、3回の攻撃を防いだが、すぐに砕けてしまった。仕方なく次々と別の太陽光パネルを拾い、盾として使いながら、タイヤを投げては攻撃を防ぐというパターンを繰り返した。このリズムで少しずつ蜘蛛のコックピットに近づいていく。 「カナ!」 私は声を張り上げて彼女を呼んだが、返事はない。 心配が募る。 カナがいるはずの場所に近づいたはずなのに、彼女の気配はどこにも感じられない。 視界を埋め尽くすのは、降り注ぐ蜘蛛の銀色の脚の柱だけだ。カナを探すためにも、まずこの巨大な蜘蛛を倒さなければならない。 私は一時的にカナのことを記憶の片隅に封じ、戦いに全神経を集中させた。 タイヤを投げて脚を折るのは効果的だが、蜘蛛の背中には太陽光パネルがあり、折れた脚はすぐに再生する。いくら攻撃しても骨折り損だ。もっと強力な武器はないかと周囲を見回していると、どこからか声が聞こえた。 「……僕の」 地面を見下ろすと、そこには月面ローバーの頭部が転がっていた。 さっき「逃げろ」と警告してくれたローバーとは別の、意識を保持している別の頭部だ。 そのローバーが、弱々しくこう言った。 「僕の、頭を、使って」
「君の頭を投げろってこと?」 「そ……う」 「でも、君の頭って小さいし、タイヤより攻撃力なさそうじゃない?」 「ち、がう……僕の、頭は……爆弾」 「爆弾?」 私は思わず聞き返した。 「君の頭に爆弾が仕込まれてるってこと?」 「仕込まれてる……わけじゃない」 蜘蛛の攻撃が容赦なく続いていた。 私は月面ローバーとの会話を一時中断し、銀色の脚が繰り出す猛攻をかわしながら距離を取った。攻撃の隙間を縫って、月面ローバーの頭部に視線を戻すと、弱々しい声が再び響いた。 「僕たち、月面ローバーの……悔しさ、憤怒……蜘蛛への負の感情が、凝縮して……爆弾になった」 「よくわからないけど」 と私は言った。 「つまり、君を投げればグレネードみたいに爆発するってことだよね?」 「そ……う」 「じゃ、使わせてもらうよ」 私は手にしていたタイヤを放り捨て、微かに緑色に光る表示灯を灯す、哀れな月面ローバーのレンガ型の頭部を片手でそっと拾い上げた。そして、蜘蛛のコックピットを狙い、全力で投げつけた。 頭部はまっすぐに飛んだ――が、初めての投擲にしては上出来だったものの、狙いは大きく外れた。100年以上生きてきて、物を投げること自体がほぼ初体験だったのだ。最近はカナのおかげで「初めて」の連続だが、それにしても蜘蛛のコックピットはおろか、無数に生えた脚にすら当たらなかった。 それでも、投げた速度自体は悪くない。 可能性は感じる。 タイヤを投げるのとは勝手が違う、と学ぶ。 タイヤは大きくて投げやすかったが、月面ローバーの頭部はそれに比べれば数倍小さい。小さい分、ピンポイントでコックピットを狙うには向いているかもしれない。 次はタイヤではなく、このくらいのサイズの投擲物を探そうと、周囲を見回し始めた。 だが、悠長に物色している暇はない。 蜘蛛の攻撃が嵐のように降り注ぎ、回避に専念せざるを得ない状況だ。拾うのを諦め、走り回りながら攻撃をかわすことに全力を注ぐ。 「カナ!」 走りながら、カナの名前を叫び続けた。 「どこにいるんだ! 私の声が聞こえるなら返事してくれ!」 だが、返事はない。 それでも諦めず、息が続く限り――いや、ヒューマノイドロボットに息はないが――精一杯彼女の名前を呼び続けた。 すると、意外な方向から別の声が響いてきた。 「こっち!」 声のした方向を見ると、そこは地面の一角に小さな丘のようなものが盛り上がっていた。 まるでご飯をお茶碗にふっくらとよそったような、柔らかく丸みを帯びた形だ。だが、よく見るとそれは土や岩ではなく、月面ローバーの頭部だけで築かれたものだった。 誰かが意図的に積み上げたのだろうか――まるでチキンや魚を食べるとき、身だけをきれいに食べて頭だけを残し、それを集めて捨てたかのような、不気味で異様な光景だった。 その頭部の丘の中から、まだ意識を保っている月面ローバーが私に声をかけてきた。 私は急いでその丘に近づき、月面ローバーの頭部に話しかける。 「君を投げてもいい?」 月面ローバーは即座に答えた。 「言われなくても、それを提案しようと思ってたよ」 その声は、最初に出会った月面ローバーの頭部よりもはっきりしていて、途切れることなく滑らかに響いた。 このローバーはまだかなりのエネルギーを保持しているようだった。それなら、後に組み合わせて乗り物にするのもいいかもしれない――そんな考えが一瞬頭をよぎったが、今はそれよりもあの巨大な蜘蛛をどうにかすることが先決だ。 私は迷わずその頭部を手に取った。 「ありがとう」 礼を言って、私はその頭部を勢いよく投げつけた。 二球目。 初球の投擲でかなりコツをつかんでいた。 確かに私のモデルは古いかもしれないが、かつては最先端と謳われた人工知能を搭載している。昔の人間が見たら魔法としか思えないような、優れた学習能力を持っているのだ。だから、この二球目は見事に投げられたと自負している。 頭部は真っ直ぐに蜘蛛のコックピットを目指して飛んだ。 だが、蜘蛛もその攻撃に気づいたのか、瞬時に何本もの脚を盾のように構えて私の渾身の投球を防いだ。しかし、前に月面ローバーが教えてくれた通り、その頭部には爆弾のような力が宿っていた。脚のガードにぶつかった瞬間、頭部は派手に爆発する。 爆発はまるで花火のように周囲を照らし出した。 それは、まるで本格的な花火大会で見るような巨大な光だった。 クレーター全体を明るく染めるほどの、圧倒的な輝きを放つ炎が広がり、爆音はまるで大型ミサイルが直撃したかのような衝撃を周囲に走らせた。 その光景は、クレーターの縁に集まる観光客たちの視線を一瞬で奪った。 真空深海の奥深くは彼らから見えないはずだが、この花火は違った。かつて人間の夢を乗せて月を走った月面ローバーのCPUが結晶化した、眩い爆発の輝き。 それは、ヒューマノイドロボットたちの心――いや、彼らのCPUに、深く刻み込まれるほどの美しさだった。 きっと、彼らの視覚センサーはこの光を永遠に記憶するだろう。 巨大な蜘蛛は一瞬にして十本以上の脚を失い、均衡を崩して大きくよろめいた。私はその隙を見逃さず、意識を宿したもう一つの月面ローバーの頭部を手に取り、コックピットを鋭く睨みつけた。 「ツーストライクで終わらせるよ」 と私は低く呟き、全力で投擲の準備を整えた。 「ルールそのものを変えてやる」 腕を大きく振りかぶり、力を込めて投げ放つ。 月面ローバーの頭部は、まるで土中から引き抜かれたマンドラゴラが上げるような、奇妙で甲高い悲鳴を響かせながら、コックピットへと一直線に飛んでいく。 蜘蛛の再生能力は脅威だが、立て続けの攻撃でその余裕すら奪っていた。ガードに構える脚はもはや残っていない。私の投げたレンガ型の頭部は、ノーガードのままコックピットに直撃した。 まさに命中。 コックピットでは、ダサい宇宙服に身を包んだヘルメットの男が、夕暮れ色のエンジンオイルで作られたカクテルを飲みながら、シャボン玉をふかしていた。その頭部が直撃し、首が90度に折れ曲がる瞬間がかろうじて私の視覚センサーに捉えられた。 しかし、次の瞬間、月面ローバーの頭部が炸裂し、眩い花火となって爆発。 あまりの輝きに、それ以上の光景は見えなくなった。 爆発の熱量とエネルギーは凄まじく、さしもの蜘蛛の心臓部――あの宇宙服に包まれた人影――を逃がすまいと飲み込む。 あの男を仕留めた、はずだ。 攻撃は見事に功を奏したようだった。 さっきまで数本の脚を失っただけでふらついていた蜘蛛が、今度は明らかに崩れ落ちる。耐え難い痛みに苛まれたかのように、残ったすべての脚が、まるで炎に炙られた虫の足のように一斉に縮こまった。その巨大な体躯ゆえ、収縮した脚が一点に集中すると、真空深海の底に沈む月面ローバーの残骸――無数の恐ろしげな破片たちが、爆風のような水中嵐に巻き込まれた。 コバルト色の砂塵がハリケーンのように吹き荒れ、私の古い視覚センサーではその青い嵐以外の何も見えなくなった。 そのパニックと混乱、カオスの只中で、私はただ一つの名前を叫び続ける。 「カナ! どこにいるんだ!」