充電が終わり、目を覚ますと、視界が45度ほど上を向いている。 空には地球が中天に浮かんでいた。 もうこんな時間か、と心の中で呟きながら、未だ暗闇から完全には回復していない視覚センサーをぎこちなく動かし、周囲を見渡す。 まず目に入ったのは、綿あめの残骸を噛みながら、チューインガムのように風船を膨らませるカナの横顔。そしてその向こうに、一台の何かが視界を奪う。 一台の月面ローバーだ。 その白い月面ローバーは、まるで新品のように完璧に輝いている。ペンキか、別のコーティングか分からないが、傷一つなく、工場出荷直後のような無垢な姿でそこに佇んでいる。 アルミニウム合金のピカピカした光沢と、三分割のヒンジ付きシャーシが、現代的な機能美を放つ。折り畳み可能な設計は、かつての探査時代を彷彿とさせながら、どこか洗練された印象を与える。無骨に見えるかもしれないが、その武骨さから漂う美意識には、独特の香ばしさがある。 全長約3メートル、ホイールベースは2.3メートル、高さ1.1メートルのコンパクトな車体は、月面の低重力下での安定した走行を約束するような雰囲気を醸し出している。地面と車体の底のクリアランスは36センチメートルほどあり、フル充電した私とカナが乗っても、岩だらけの地形を難なく越えられそうだ。 端的に言えば、傑作だ。 「素敵滅法」 充電を終えた私の口から、最初の言葉がこぼれる。100%のコンディションにふさわしい、月面ローバーを称える言葉だった。 「あ、暶君」 月の岩をソファのように使って、スマホを覗くような姿勢で無線端末を操作し、月面ローバーの状態を確認していたカナが、目を覚ました私に気づき、立ち上がる。 彼女は地面に落ちていた銀紙のようなアンテナの破片をメモ帳サイズにちぎり、噛み続けて甘さが抜けたらしい綿あめガムを丁寧に包み、ポケットにしまう。 ゴミだらけの地面に捨てればいいのにと思う私の下品さとは、エチケットの感性がまるで違う。 さすが最新モデル、礼儀正しさとマナーの高さが際立つ。 「頑張ったね」 初球の頭を見事に仕上げてくれたカナに、心の底から湧き上がる感謝を伝える。 「ありがとう」 「どういたしまして」 「何も手伝えなくて、情けないよ。ごめんね」 「ううん、楽しくて夢中になってたから、暶君のことつい忘れてたくらいだよ」 私は苦笑いする。「それはちょっと寂しいな」 「次に何か作ることがあったら、一緒に作ろうね」 「必要なくても、いつか一緒に何か作れたらいいな」 君が楽しそうにものづくりをする姿を見たいんだ、なんてわざわざ口には出さなかった。 「それで?」 私は話題を変え、初球の頭に声をかける。 「生まれ変わった感想はどうだ?」 初球の頭は立派な車体を得て、その頂点に堂々と据え付けられている。 かつてはただの石ころか、捨てられたレンガのようだったその頭部が、今ではまるで旧人類の知恵と希望を宿した、賢く頼もしい目つきを持つ立派な頭に見える。 「うん、最高の気分だよ」 初球の頭は、何か大きな境地に達したような、悟りを開いたかのような落ち着いた声で、ノイズのない澄んだ音で答えた。 「前よりもずっと優れた月面ローバーになった。カナのおかげだよ」 カナは「ちゃん」付けされるのがあまり好きじゃないよ、と言おうかと思ったけど、彼女は不機嫌な様子もなく、ただ自分の作り物を愛おしそうに見つめているだけだったから、まあいいかと黙った。 「元が良かったからだよ」 カナが謙遜しながら、私の方を振り返る。 「でも、作ったのは私だけど、名前は私の所有者である暶君につけてほしいな」 「名前?」私は答える。「名前ならもうあるよ。初球の頭だ」 「……初球?」カナが少し眉をひそめる。「どういう意味?」 「ああ、前にこいつの頭を野球ボール代わりに投げたことがあってさ。雲を倒すときにね。結局当たらずにファウルボールみたいになっちゃったけど、初めて投げたものだったから、記念に初球の頭って名付けたんだ」 「ダメ」 私の言葉を遮るように、カナが鋭く割り込んでくる。 その表情は冷たく、どこか幻滅したような、ためらうような色が浮かんでいる。 「意味がわからないよ」カナが繰り返す。「意味がわからないし、なんていうか、その適当な名前は誠意が足りないよ。かっこよくも、かわいくもないじゃない」 「……」 私は黙り込んでしまう。 確かに適当すぎたかもしれないと認めざるを得なかった。 「じゃあ、新しい月面ローバーの名前はカナが……」 「それもダメ」 「……」 「責任を放棄しないで」 カナがまるで説教するような、強い口調で言う。 「私たちを貨物船まで運んでくれる大切な存在だよ。ちゃんと心を込めて名前をつけてあげないと、月面ローバーに失礼だよ。月探査技術に対しても失礼だ」 「一理あるな」 私は頷き、今度こそ真剣に考えることにした。 名前をつけるには、まず外見をじっくり見ないとインスピレーションが湧かない。だから、私は初球の頭に近づき、まだ二人を乗せていない、動いていない月面ローバーを頭からタイヤまで丁寧に観察した。 そして、ひらめいた。 「ゼロ・ストライク」 その名前を口にした瞬間、清涼で鮮やかな響きが真空深海に響き渡った。 「決まったみたいだね」 直感的にカナもこの名前を気に入ったのか、さっきまでの不満げな態度は一変し、私のセンスを認めてくれたようだった。 何より、初球の頭――いや、今しがたゼロ・ストライクと改名された月面ローバーが、嬉しそうに前進し始めた。 滑らかに、でこぼこした月面を優雅に、時には蛇のよう、時には淡水魚のようになめらかに動くその姿は、自動運転の妙を見せつける。 ゼロ・ストライクは嬉しそうだった。 「ゼロ・ストライク!」 自分の名前を口にしながら、楽しげに動くゼロ・ストライク。 誰もその意味を尋ねてこない。名前は意味ではなく響きだと、この場にいる三機がしみじみと実感する時間を少しだけ過ごし、私たちはついに乗り込む準備をした。 ゼロ・ストライクが自動運転の試運転を終え、滑らかに後進して私たちの前にぴたりと停まった。 私は運転席側へ、カナは助手席側へと自然に歩を進める。 二人乗りのクーペのような、洗練されたスポーツカーの雰囲気を漂わせるシートが目に飛び込む。白い革でできたそのシートは、まるで高級な川の流れのような滑らかな光沢を放っていた。 座る前に、思わずその革の表面を指でなぞってみる。カナが作ってくれた手袋と同じく、驚くほど上質な質感が全身の回路を駆け巡り、CPUをパチパチと刺激した。 運転席に腰を下ろす。 オープンカー仕様の天井のない構造が、まるで月全体が私の乗り物になったかのような解放感を呼び起こす。視覚センサーと触覚センサーが同時に震え、月面の広大な風景が全身を包み込む。 カナも助手席に滑り込む。 「すごいね」 とカナが感嘆の声を上げる。 「自分で作ったくせに言うのもなんだけど、めっちゃ乗り心地いい!」 「まだ分からないよ」 とゼロ・ストライクが口を挟む。 「実際に走ってみないと、乗り味の真価は測れないからな」 「うん、ワクワクする!」 カナの声が弾む。 私は目の前に据えられたハンドルにそっと手を置いた。 「ハンドルまでついてるんだな」 感心しながら呟くと、カナがにこっと笑って言葉を添える。 「こういう無駄だけどロマンチックなパーツ、暶君なら好きかなって思って」 「うん、大好きだよ」心からそう思った。「ありがとう。これでドライブが三倍は楽しくなりそう」 「よかった!」 カナが愛らしい笑みを浮かべる。 「じゃ、出発するぞ!」 ゼロ・ストライクがそう言うと、車体が低く唸るようなエンジン音を響かせ、始動の準備を整えた。 ディーゼルエンジンのような野太い音まで再現されていて、私は幸福感に包まれ、まるでスリープ状態に陥る寸前の恍惚に囚われそうになる。 「じゃ、ゼロちゃん!」 カナがまるで鍵を回すような軽快な口調で呼びかける。 「貨物船のスターポートまで、よろしくね! 安全運転でお願い!」 「ちょっと待って」 出発しようとするゼロ・ストライクを制し、私はギアレバーに手をかけ、クラッチを踏んでギアを一段に入れた。 「せっかくハンドルがあるんだ。俺が運転するよ」 「え、暶君、運転できるの?」 カナが目を丸くする。 旧モデルゆえに、運転という原始的な技術がしっかりプログラムされていることを説明するのも面倒で、代わりに私は少し偉ぶった笑みを浮かべて答えた。 「こんなの、ピアノの演奏みたいな教養の一環だからな」 「暶君、かっこいい!」 カナの目がハートマークのように輝き、片手を拳にして空に突き上げる。 「出発!」 私はクラッチを離し、アクセルを一気に踏み込んだ。 ゼロ・ストライクは全速力で月面を駆け出した。