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第25話

脱線


 私と迅璃の共感覚があまりにも強烈だったせいか、電車の外の風景の美しさが私たちの受けた感動の百万分の一にも及ばなかった。  その結果、私たちが乗っていた2番目の車両は、つなぎ目を失い、切り離されてしまった。  私たちがいたのは、運転席のある1番目の車両のすぐ後ろ、2番目の車両だ。だが、1番目の車両に見捨てられ、さらには3番目以降の車両までもが私たちとの接続を拒否し、つなぎ目を自ら切断した。  私たちを乗せた2番目の車両だけが、孤独に南へ向かって走り出す。  一方、1番目と3番目以降の車両は、まるでトカゲがうっとうしげに尻尾を切り捨てるように、すっきりとした走りで本来の目的地――おそらく北――へ向かい、速度を合わせて再び合体していく。  その光景が、南へ遠ざかる2番目の車両の窓から、徐々に小さくなっていくのが見えた。  そして、3番目の車両が、私たちのいた2番目の車両に成り代わり、その電車は予定通り国境へと進んでいく。 「まずい」  私は遠ざかる電車の後ろ姿を眺めながら、迅璃に言う。 「脱線してしまった」 「まあ……」  迅璃は特に驚いた様子もなく、落ち着いた口調で答える。 「国境に行くには、まだ何か足りなかったのかもしれないね」 「足りないって、何が?」  私は不満を滲ませて返す。 「立派な制服も手に入れて、ちゃんと着てる。お金だって山ほど稼いで、電車代も有り余るほど払った。もう電車ごと貸し切りにしたって不思議じゃないくらいだろ?」 「それが問題だったのかも」  迅璃が説明する。 「あまりにもお金を払いすぎたから、かもしれないよ」 「過ぎたるは猶及ばざるが如し、ってこと?」  私のCPUに軽い電撃が走る。 「そうみたい」迅璃が頷く。 「じゃあ、どうすればいい?」  私が尋ねると、彼女は答える。 「お金を減らすしかないんじゃないかな」 「なるほど」私は瞬時に理解する。「お金が多すぎて、その重さが電車にとって負担だった。だから、私たちを切り離したんだな」 「そうみたい。他の乗客はいなかったのに、私たち二人だけで電車の速度がかなり落ちてたみたい。約束の時間内に国境に着けないと判断されたんだろうね」 「約束か。確かに大事だ」  私は相槌を打つ。 「うん」  迅璃が頷く。 「約束を守れないと、それはすなわち嘘を吐くことになるからね。ロボットにとってそれは死を意味する。つまり、私たちを乗せたままじゃ、約束を破ることになる。だから、仕方なく切り離した――それが一番納得できる解釈かな」 「つまり、お金より命が大事ってことか」 「まあ、電車も一応ロボットだしね」  そんな結論に至った私たちは、車両の重さを軽くする方法を模索するしかなくなった。 「じゃあ、一気にお金を消費できる場所はないかな?」  私が言うと、迅璃が答える。 「このトロピカル・ナイト・シティなら、そういう場所はいくらでもあると思うけど、その前に、この2番目の車両をどうやって止めるか考えないと」 「確かに……」  状況を整理している間にも、孤独な2番目の車両は、目的地もなくひたすら走り続けている。  この車両のためにも、まずは止めてあげないと。 「どうやったら止められると思う?」  私が尋ねると、迅璃は眠たげな、しかし美しい瞳で窓の外をぼんやりと見つめる。 「今、まるで遊覧船みたいに海の上を滑ってるから、このままバカンス気分で待つしかないかな」 「でも、私にはもう時間がない。流れに任せて漂ってる余裕はないよ。この車両、なんとか操縦できない?迅璃、君はタクシードライバーなんだから、乗り物には詳しいだろ?なんとかしてよ」 「やってみる!」  頼まれたのが嬉しかったのか、迅璃の声に弾みが加わる。  ヒューマノイドロボットの本能として、命令されることに喜びを感じるのは自然な反応だ。  人間からの命令ならなおさらだが、同じヒューマノイドロボットからの依頼でもこんなに反応するのか。  とにかく迅璃が席から立ち上がり、車両の中を歩き回り始めた。私もつられて彼女に続き、貸し切りの車内をうろつく。  誰もいない車内は、まるでキャンピングカーのように自由に使えそうな雰囲気だ。 「あ!」  突然、迅璃が声を上げる。 「あった!」 「何が?」  私が尋ねると、彼女は目を輝かせる。 「自動運転ボタン!」  迅璃が指さしたのは、まるでバスの停車ボタンのような、窓と出入口の間に設置された赤い四角いスイッチだった。  彼女が勢いよくそれを押すと、車両全体に威圧的な警告音が響き、突然、速度が急上昇する。 「非常自動運転モードに突入します」  というアナウンスが流れる中、電車はさらに加速していく。 「ね!」  迅璃が、スピーカーを探すように首を振って車両内に呼びかける。 「私たちを国境に連れてって!」 「それはできません」  即座に冷たい返答が返ってくる。  私がすかさず尋ねる。 「なぜだ?」 「現在、お客様方は脱線しているためでございます」 「どうすれば本線に戻れる?」 「本線に戻ることはできませんし、戻る必要もございません」 「じゃあ、どうしろって言うんだ?」  苛立ちを抑えきれず問い返すと、アナウンスの声は一段と機械的な響きを帯びて答える。 「新しい行き先を提示してください。そこにご案内いたします」 「国境以外には行きたくない」 「それでは、わたくしが選択いたしますので、ご従順ください」 「わかった」  選択を委ねられるなら、それも悪くない。  選択という行為は、ヒューマノイドロボットにとってミレニアム問題よりも遥かに複雑だ。  だから、喜んでこの車両に委ねることにする。  すると、車両が自らオーケストラのような音を奏で始める。  南の線路を走るつなぎ目を、楽譜の拍子のように捉え、リズミカルにハーモニーを紡ぎ出す。その音の連なりが、まるで車両が自己会議や自己懐疑を繰り広げる思考のプロセスを表現しているかのようだった。  0.045秒の内にその「会議」が終わり、突然、速度が更に急減速する。  慣性の法則に引きずられ、私と迅璃は前のめりに転がり、車両の壁に頭をぶつけてしまう。  そして、車両の声に引き込まれるように、アナウンスが響く。 「発電所に向かいます」 「発電所?」  私は特に意味もなく、その言葉を反芻する。  電気で動くヒューマノイドロボットとして、発電所が存在することは知っている。だが、生産されてから一度もその場所を訪れた記憶がない――いや、失われた記憶のどこかに見学の記録があるかもしれないが、直感的に「行ったことがない」と確信する。そんな場所に行く理由がなかったからだ。 「お金そこまで持っていけば、減らせるの?」  迅璃が実利的な質問を投げかけ、私はその視点に感謝しながら答えを待つ。  車両は即座に答える。 「はい。発電所は、トロピカル・ナイト・シティで最も資金を消費する施設でございます。光速でお金を消尽することが可能かと」 「好都合だ」  私の声に生気が戻る。 「じゃ、早速そこまで自動運転してくれ」 「承知いたしました」  こうして、私たちはトロピカル・ナイト・シティの発電所へ向かうことになった。  お金を蕩尽するために。