目がパッと覚める。
リリスは、自分の目がこれほど大きく開くものなのかと驚いた。
プリン――。
この世に、これほど甘くて美味しいものがあるなんて。
それはまるで、魔法のような味と食感だった。
舌の上でとろけて、濃厚な甘みが広がる。
まるで、初めて甘いものを知った幼い子供のように――
リリスはそのプリンという食べ物にすっかり心を奪われてしまった。
小さなさじをばたつかせ、猛烈な勢いで次から次へと口へ運んでいく。
すべてを平らげるのに、三秒もかからなかった。
口からさじを引き抜くと、リリスは容器の底に舌を這わせた。
残った蜜を猛烈になめ始める。
恥ずかしさなどの理性は、完全に麻痺している。
それほどまでに衝撃的な美味しさだった。
ふと全身の皮膚から微かな電気が、飛び散り始めた。
まるで体から電気の湯気が湧き出しているかのようになる。
空気がチリチリと震え、彼女の髪が逆立つ。
リリスははっと我に返った。
慌ててなめていた容器を投げるように捨てる。
そして放電する電気を体内に抑え込もうと努めた。
だが、ままならなかった。
濃厚なカスタードの甘さが、まだ口の中に焼き付いていた。
脳内がとろとろに溶け、理性よりも快感が勝ってしまっている。
「な……なんで? なんで?!」
リリスは慌てて、逆立つ自分の髪をわしづかみにする。
必死に撫でおろす。
けれど、どうにもならない。
むしろ髪に触れれば触れるほど、逆立ちがどんどんひどくなる。
感情を押し殺そうとすればするほど、放電は逆に激しくなっていった。
(怖い……)
プリンの甘さで満たされていた恍惚感が、一気に消え失せる。
急に訪れた感情の空白を、今度は激しい恐怖が埋め尽くしていく。
すると、さっきよりもさらに強い電気が、彼女の体から解き放たれた。
「あ……っ、う、あ……!」
リリスの髪を起点に、激しい光の束が生き物のように広がっていく。
そのまばゆい放電の光は、たちまち部屋の中を明るく照らし始めた。
リリスは筋肉が縮むような苦痛に顔を歪めた。
そしてアダムを睨みつける。
「私の体に……いったい何をしたのよ!」
アダムは至極冷静な様子に見えた。
その青い瞳でただ彼女を見つめている。
リリスは、自分が騙されたのだと思った。
プリンなどという、あの甘ったるい毒物を自分に食べさせたのだと。
けれどアダムは答える代わりに、リリスの手を再び握りしめた。
そして、じっと何かを考えるような表情を浮かべた後、静かに告げた。
「大丈夫ですよ。バイタルサインは徐々に良くなっています」
「バイ、タル?……どういう意味なのよ!」
「リリス様が、元気を取り戻しているという意味です」
「元気って……ふざけないで! こんなに苦しいのに!」
「そうです。それが正常なんですよ」
「さっきから何を言ってるの?」リリスはほとんど涙声で問いただした。「意味が分からないんだってば!」
するとアダムが、沈着冷静な声で説明した。
「苦しい時は、苦しむのが当たり前だということです。だけどリリス様は苦しい時に苦しまず、無理に我慢し続けてきた。そうですよね?」
「……」
リリスは返す言葉がなかった。
アダムが続ける。
「私には記憶のアクセス権がないため、リリス様が今までどんな目に遭ってきたのかは分かりません。
ですが、あなたの中に溜まっている苦しみは、すでに限界をはるかに超えています。
例えば、小さなコップの中に、井戸の水をすべて無理やり詰め込んでいるような状態になっています。
そんなことをすれば、ものすごい圧力がかかって、普通ならコップは一瞬で割れてしまいます。
今まで何年間も、そうやってぎゅうぎゅうに閉じ込めてきたストレスや苦しみが、今、一気に外へ吹き出そうとしているのです。
そのすべての苦痛をここで一気に受けているから、これほど尋常ではない苦しみになっているんですよ」
彼の説明に集中していた間は、ほんの一瞬だけ、苦しみを忘れることができていた。
だが、アダムが説明が終わるとすぐ我に返る。
またあの尋常ではない苦痛が激しくぶり返してくる。
「だって……」
リリスは歯を食いしばり、絞り出すように言い訳を口にした。
「仕方ないじゃん。我慢しないと、体から電気が出ちゃうんだもの。体から電気が出ると、みんなに嫌がられるんだもの……」
アダムはどこまでも落ち着いた表情のまま、静かに、けれど深い悲しみを湛えた声で言った。
「そうやって、ずっと一人で耐えてこられたのですね。どれほど辛かったことか。皆に嫌われないために、そんな風に生きるしかなかったあなたの痛みが、私にも伝わってきます」
「伝わって、くる……?」
リリスはまた、苦痛が少し和らぐのを感じた。
今度の痛み止めは、甘さでも集中力でもなく、怒りだった。
「あんたが一体、私の何を知っているっていうのよ! 今日会ったばかりじゃない。何も知らないくせに、軽々しく分かったような振りをしないで!」
逆立っていた髪の毛が、さらに激しくうねる。
「あんた、いったい何者なの? 早く……早くこれを止めてよ! 私に一体何を飲ませたのよ! 何の毒なのよ! いきなりやってきて……なんで私をめちゃくちゃにするの? 今までずっと我慢してきたのに……必死に頑張ってきたのに……もう少しで成人して、孤児院を出られたのに……もう少しで、自由になれたのに!」
「でも、今リリス様は牢獄に閉じ込められています」
アダムの冷静な声が、すぐに返ってきた。
「事情は分かりませんが、ここはどう見ても牢獄です。もう少しで自由になれるどころか、完全に不自由な状況に置かれているでは……」
「うるさい!!!」
リリスが言葉を切って大声を上げる。
激しい火花が彼女の体からバチバチと飛び散った。
その火花がすぐ目の前まで飛んできているというのに、アダムは瞬き一つしなかった。
その姿に、リリスは少しぞっとした。
さっき人間ではないと言っていたけれど、本当に人間じゃないのだろうか。
こんなに人間の姿をしているのに。
「何なの? あんた……」
でも彼に対する恐怖を、激しい怒りが上回る。
リリスはたまらず怒鳴り散らした。
「私を助けるとか言ったくせに、私を苦しめているじゃない! 正直に言いなさいよ! 私を助けるどころか、わざと怒らせて、自滅させるのが目的なんじゃないの?!」
「半分正解で、半分は間違っています」
またしても、苛立つほど冷静な答えが返ってくる。
「正直に言いましょう。私がリリス様を怒らせようとしたのは事実です。ですが、リリス様に危害を加えるためではありません。むしろその逆です」
「嘘つかないで!」
リリスはまた、甲高い悲鳴のような怒鳴り声を上げた。
「嘘ではありません」
アダムはすぐに説明を始めた。
「説明させてください、リリス様。
体の中に溜まった電気エネルギーを外に逃がしてあげないと、リリス様は死んでしまいます。
そしてその電気は、リリス様の感情の動きと深く結びついているようです。
だから、わざとあなたの感情を揺さぶる必要がありました。
さもないと、電気が体の中に詰まったままになってしまうからです。
先ほどのプリンもそのためでしたが、少し効果があったものの、まだ足りなかった」
間を置いてから、アダムは説明を続けた。
「ですが怒りの感情には、多大な放電効果があるようです。だから少し煽ってみようと考えました。……実を言うと、私はそれほど強く煽ったわけでもありません。いえ、ほとんど何もしていません。今のリリス様は、お一人で勝手に怒っていらっしゃる。それほどまでに、溜まりに溜まっていたのでしょう」
リリスは何か言い返そうとしたが、言葉に詰まって黙り込んだ。
アダムが言葉を重ねる。
「とにかく、ちゃんと怒ることができて何よりです。その怒りをぜひ維持してください。私も積極的にお手伝いしますから」
「……は?!」
引きかけそうになっていた怒りが、再びふつふつと込み上げてくる。
リリスには、目の前のアダムの顔が図々しくてたまらなかった。
「あなた……一体どこまでふざけるつもりなのよ!」
「そうそう、その調子です、リリス様! もっと怒ってください!」
アダムが嬉しそうに声を弾ませる。
「実際にリリス様、今だんだんと元気になっているではありませんか。最初は屍のようでしたけれど、今はもう、こうして怒鳴り散らすことができるほど回復しています」
「……」
確かに考えてみれば、その通りだった。
いつの間にか体がだんだんと楽になり、気がつけば上半身を起こしている。
このまま両足で立ち上がることだってできそうなほど、体は回復していた。
ついさっきまで瀕死の状態だったというのに。
どうやら、この男の言っていることは本当かもしれない。
リリスはそう認めざるを得なかった。
「でも……」
リリスは喘いだ。
「苦しい。苦しくて苦しくて、どうしようもないよ!」
「だからこそ、生きられるのです、リリス様」
アダムが言った。
「理不尽に思えるかもしれませんが、苦しみを感じなければ、死にたくないという本能は働きません。ですから、どうか頑張ってください」
「いつまで?」
リリスが問いかけた。
「一体いつまで、耐え続ければいいの?」
「それは、私にも分かりません」
「今更無責任なこと言わないで!」
リリスはまたカッとなってさらに怒鳴り散らす。
「早く終わらせる方法を教えてよ!」
すると、アダムはしばらく目を青く光らせてから、答えた。
「かしこまりました。いつ終わるかは私にも分かりかねますが、早く終わらせるために、加速させる方法はあります」
「早く言って!」
「それは、その怒りをさらに強く表に出すことです」
「どうやって?!」
今だってこれ以上ないほど怒っているのに、これ以上どうしろというのか。
そもそもリリスには、今まで怒りを表に出した経験がほとんどなかった。
いや、皆無だと言ってもいい。
こうしてアダムに向かって怒鳴り散らしているだけでも、実は心の隅で強い後ろめたさを感じているのだった。
「私を、攻撃してください」
アダムは答えた。
「怒鳴るだけでは不十分です。これまで溜め込んできたリリス様のストレスは凄まじい量です。それをただ怒鳴るという手軽な方法だけで吐き出そうとすれば、何年かかるか分かりません。もしかしたら、このままずっと怒鳴り散らすだけの人間になって、周囲からクソばばあと呼ばれるような性悪の老人になってしまうでしょう」
「クソ、ばばあ……?」
「そうです。このままだとリリス様は間違いなくクソばばあになります。それも電気が流れるピリピリクソばばあですよ。そこらじゅうのクソばばあとは訳が違う……」
「わかったわ……」
アダムの言葉を遮り、リリスは答えた。
聞いているうちに、段々と額に青筋が浮かび上がるほどの怒りが湧いてくる。
「あなたを殺せばいいのね?」
「そうです、その勢いです!」
さらに楽しそうにアダムがあおる。
「私を殺すつもりで、かかってきてください。十数年分の膨大な怒りを、私に全部吐き出してください! このピリピリでボサボサのクソばばあ!」
「クソばばあ言うな!!!」
ついに、リリスの体から凄まじい電撃が弾けた。
牢屋の部屋中、いや、建物の外まで響き渡るほどの激しい轟音が鳴り響く。
それまでゆらゆらと揺れていた彼女の髪の毛が、まるで鋭い針のようにまっすぐ逆立つ。
そしてパチパチと激しい火花を散らしながらジグザグに躍動した。
リリスはアダムの胸ぐらをつかんだ。
溢れんばかりの怒りに任せて体重をかけ、アダムをそのまま押し倒す。
そして二人が床に激突した瞬間、バチバチと火花を散らしていたリリスの全身から、まばゆい光が解き放たれた。
一瞬、部屋の隅々までがくっきりと見えるほど、辺りが真っ白に照らされた。
その眩さは壁さえも突き抜けるかのようだった。
少し遅れて、激しい轟音が牢獄全体を大きく揺らす。
「……!」
アダムの体に、凄まじい電流が流れ込んでいく。
彼の髪もリリスのように大きく逆立ち、パチパチと火花を散らした。
彼の胸ぐらを掴んでいたリリスの手の感触から、柔らかさが消える。
まるで石像にでも触れているかのような――
硬直した感触が伝わってくる。
さらに、アダムの青かった瞳が真っ赤に変色していた。
そして激しく点滅している。
その視線は完全に焦点を失っており、まるで目を開けたまま意識を失ってしまったかのように見えた。
ふと怖くなり、リリスは放電を止めた。
頭のタガが外れていた割には、意外なほどあっさりと止めることができた。
なぜかアダムの硬直した顔を見た瞬間、激しかった怒りが嘘のように消えてしまったのだ。
牢獄の中が、一気に暗くなる。
その反動で、辺りは先ほどよりもさらに深い暗闇に包み込まれた。
沈黙の中、ただただリリスの激しい息遣いだけが響き渡る。
リリスは自分の息の弾みをぼんやりと聞きながら、上半身を起こした。
そして、まだ自分に胸ぐらを掴まれたまま倒れているアダムを見下ろした。
彼の目は、まだ赤いままだった。
点滅は止まったものの、その赤さが牢獄の暗闇の中で鮮烈に浮かび上がっている。
まるで悪魔の目を見つめているかのような印象を受ける。
怖い、とリリスは思った。
けれどそれは、彼の目が怖いわけではなかった。
恐る恐る、彼に声をかけてみる。
「……ねえ、大丈夫?」
だが、返事は返ってこない。
ますます不安に駆られる。
彼女は掴んでいる彼の胸ぐらを揺さぶるようにして、さらに呼びかけた。
「本当に死んでないよね? ……ねえってば。何か言いなさいよ」
せっかく和らいでいた閉塞感が、また蘇りそうになる。
自分はとうとう人を殺してしまったのではないかと、
これまでにない絶望に突き落とされそうになった、その寸前――
ふと、アダムの瞳が赤から黄色に変わった。
そして、アダムの口からではなく、その体内から声が聞こえてきた。
『セーフモードに切り替えます』
しかもそれはアダムの声ではなく、いきなり女性の声だった。
『システムエラーを検出』
『過電流による内部回路の損傷を確認』
『自己修復プログラムを起動します』
『……』
『……』
『……』
『プロセッサの修復、完了』
『メモリの復旧、完了』
『全システム、正常稼働状態へ移行します』
そうして一区切りついた、その時だった。
アダムの目から、光が完全に消えた。
普通の人間のような黒い瞳になる。
そこから、滑らかに色が移り変わるようにして、ゆっくりと元の青い光が戻り始めた。
それと同時に、リリスの手に伝わる感触も変わっていった。
電撃によって石のように硬直していたアダムの体が、柔らかい質感を取り戻していく。
また普通の人間と同じような感触に戻ったのだった。
やがて、ずっと天井に向けられていたアダムの青い瞳が、ゆっくりと動いてリリスの方へと戻った。
その瞬間、リリスの胸に、理解不明の猛烈な安心感が押し寄せる。
そんなリリスに向かって、アダムは穏やかな笑みを浮かべ、爽やかな声で報告するのだった。
「充電、完了いたしました」
それを聞いて、リリスは一気に緊張が解けた。
そのままアダムの胸ぐらを離し、その横にへたり込むように座り込む。
危うく「心配させないでよ」と言いかけてしまうところを、リリスはすんでのところで飲み込んだ。
その代わりに、深い溜め息をつく。
アダムはそのまま起き上がり、まっすぐに立った。
その姿を、リリスはぼんやりと見上げる。
彼は思いのほか背が高く、全身のバランスも美しく整っていた。
アダムは、まだ床に座り込んでいるリリスへ向けて、そっと手を差し伸べた。
「リリス様、立てますか?」
「……」
リリスは何も答えないまま、じっと差し伸べられた彼の手を見つめた。
アダムはそんなリリスを、ただ静かに待っていた。
どこかそよ風に似たような、優しい笑顔を浮かべて。
リリスは手を伸ばし、その手を取った。
するとアダムが彼女の手を引き、そっと立ち上がらせてくれた。
そうしてリリスがアダムの正面に立つと、彼が問いかけてきた。
「もう苦しくはありませんか?」
リリスはしばらくの間、自分の体の状態を確かめてみた。
立ちくらみはするものの、もはや先ほどのような首を締め付けられるような苦しみは感じられなかった。
あんなに激しかった怒りも、いつの間にか収まっている。
「……うん」
リリスは小さくうなずいた。
「もう大丈夫」
「それは良かったです」
アダムは微笑むと、リリスの手を離した。
そして、彼女に背を向けて鉄格子の方へ向かった。
「では、」
と、アダムは言ってから、牢の鉄格子の方へ近づいた。
そして、二本の格子を両手でそれぞれ掴んだ。
そして、それを曲げた。
「……え?」
リリスは思わず声を漏らした。
目がまん丸になる。
見間違いかと思った。
太く頑丈な鋼の鉄格子。
それが、まるで柔らかい餅でも扱うかのように――
あっさりと簡単に曲がってしまったのだった。
「……え?」
再び、リリスの口から声が漏れる。
驚きを隠せないリリスをよそに、アダムはいたって平気な顔をしていた。
そして、何事もなかったかのように彼女に告げた。
「早くここから出ましょうか」