第04話

プロンプト:BoyMeetGirl


 森を抜け、自分の家のある道を戻るようにして小道へ出た。
 そのまま、目の前に続く細いライン――道――をたどって歩く。
 正直、行きたい場所も、行くべき場所も思い当たらなかった。
 市役所とか役場とか、そういう公的な施設があるだろうか、と思ったが、引っ越しの手続きはすべて火星で済ませてある。
 つまり、今日の予定はまったくの白紙。
 やることもないし、家にこもるのも気が滅入る。
 だからせめて、この村に慣れるために少し歩こう――そう思った。
 これからここが、私の活動の舞台になる。
 その舞台の空気を確かめておきたかった。
 左手には、木々の茂る小さな森――いや、裏山のようなものが続いている。
 右手には、いかにも田舎らしい田園風景が広がっていた。
 群青色の稲が風に揺れ、淡く光る水面が、広々とした田んぼ一面に反射している。
 その水は、ただの水ではない。
 どこか紫がかった蒸留液のようで、微かに電子の粒が漂っているようにも見えた。
 まるで空の積乱雲を、電流で描き写したかのような光景。
 異星の田園とはいえ、どこか懐かしく、美しい。
 私は絵画でも眺めるような気分でその風景を見つめていた。
 すると、不意に“ひと気”――いや、“ヒューマノイドの気配”を感じて、ぱっと正面を見た。
 そこに、ひとりの女子高生が立っていた。
 典型的な日本の女子高生の姿をしたヒューマノイドロボット。
 制服に、黒髪。
 その造形は、どこか完成されたテンプレートのように整っていた。
「こんにちは」
 彼女がそう言うので、私は反射的に口を開いた。
「なぜ、女子高生なの?」
 自分でも意外な質問だった。
 特に意図があったわけではない。
 ただ、火星時代のどこか深い層――CPUの奥底に潜んでいた古いウイルスのような“問い”が、いま自動的に呼び覚まされたのだと思う。
「BoymeetsGirl」
 そんな単純なプロンプトが入力された瞬間、私はその言葉を発するようにできていた。
 そう、これは必然だったのかもしれない。
「なぜ、女子高生の姿をしているの?」
 もう一度尋ねると、彼女はあっさりと答えた。
「この形が一番ポピュラーだからだよ」
「誰にとって?」
「人間の脳のクラウド平均に」
「……どういう意味?」
 彼女は淡々と説明を続けた。
「性別を問わず、“女子高生”というモデルが、もっとも人間の偏桃体――リンビックシステム――を刺激する。
 集中力や共感値を最大化するソースコードとして、組み込まれているの」
 なんとなく理解はしていた。
 けれど、あらためて言葉にされると、妙に恥ずかしくなる。
 自分が女子高生でもないのに、何か秘密を暴かれたような感覚。
 しかし、彼女の表情は終始淡々としている。
 まるで、それが真実であり、世界のメカニズムなのだとでも言いたげに。
 そして、話題を戻すようにもう一度、
「こんにちは」
 と、同じ挨拶を繰り返した。
 ――ああ、そうか。
 このモデルは、挨拶を返されないと次の会話に進めない設定なのだな。
 私は納得して、素直に返す。
「こんにちは」
 その瞬間、彼女の表情にわずかな活気が灯った。
 体中のアクチュエーターに電流が走ったように、微かな笑みが浮かぶ。
「私は靂。“オト”って読むの」
 名前を名乗られれば、返すのが礼儀――というプログラムが私の中でも作動する。
「私は黽(カイ)だ」
「かっこいい漢字だね。そして、かっこいい感じだね」
「君の名前も素敵だよ。かわいい」
「ありがとう」
 二人はほとんど表情を変えず、淡々と自己紹介を終える。
 そして、靂――オトが次の話題を持ちかけてきた。
「今日、引っ越してきたの?」
「うん。君はこの村の子なの?」
「うん。私はここで生産されて、そのままずっと暮らしているの」
「じゃあ、まだ人間に購入されたことはないんだ」
「うん。一度もオーナーを持ったことがないの。黽くんはあるの?」
「うん。……返品されてしまったけど」
「……あら、そう」
 ご愁傷様――そんな表情を、彼女はほんの一瞬だけ見せた。
 その短い間に、私は彼女の外観データを自分のメモリチップに記録しようとする。
 まずは上から順に。
 それが、私のCPUの処理アルゴリズムの基本構造だ。
 頭頂部から観察を始める。
 黒髪。
 ポニーテールが恐ろしいほど似合う。
 顔立ちは整っていて、可愛い。
 おそらく大量生産型の普及モデルだろう。
 その美的パラメータを数値化するなら、1から10の尺度で8.7――そんなところだ。
 瞳は青い。
 それはほとんどのヒューマノイドロボットが採用している、太陽系共通の国際規格だ。
 私も同じ色だし、特注カスタムでもない限り、瞳は必ず青になる。
 最初に出会った、赤い瞳の9歳少女――あのカスタムモデルがむしろ例外なのだ。
 理由は知らないし、知る気もない。
 服装は夏のセーラー服。
「着ている」というより、「着せられている」。
 量産型モデルにおける定番のデフォルト。
 その下の肌は健康的な白さで、日焼けの設定を意図的に無視している。
 田舎の少女なら少し焼けていてもいいはずなのに。
 おそらく設計者が、わずかなバリエーションを持たせたかったのだろう。
 結果として、その明るい肌はセーラー服とひどくよく似合っていた。
 そう――彼女は、あまりにも普通だった。
 太陽系のどの惑星にもあふれている、“典型的な女子高生型ヒューマノイドロボット”。
 ここまで普通だと、逆に気の毒に思えてくる。
 私の考えを読んだかのように、彼女の表情がわずかにむっとした。
「なに、そんなにじろじろ見て。私の顔になんかついてる?」
「……」
 吐くセリフまで典型的すぎて、思わず苦笑いが漏れる。
「ついてるよ」
 そう言うと、彼女はすぐに自分の顔を手で探り始めた。
 だが触覚センサーは何の異常も検知しない。
「どこについてるの?」
「額のほう」
 彼女の手が頬から額へと移動する。
 それでも何も見つからないらしく、再び問い返す。
「なにもないよ。何がついてるの?」
 私は静かに答えた。
「普通が」
「は?」
 ぼんやりとした表情で、聞き返してくる。
「言葉の通り。君の額に、“普通”がついてる」
「へぇ、本当に?」
 素直に信じてしまうあたりが、少し意外だった。
 彼女の表情が心配そうに変わる。
「ちょっと、私の手だと触れないみたい。どうやって取ればいいの?」
 その言葉を聞いた瞬間、私はわずかに息をのむ。
 彼女の額にまとわりついていた“普通”が、かすかに薄れていくのが見えたのだ。
 吹き飛ばされてしまう前に、私は手を伸ばし、その額に触れる。
 まるで埃を払うように、そっと“普通”を取り除いた。
「これでよし。取ったよ」
「へぇ、見たい見たい」
 彼女が私の手を覗き込もうとする。
 その瞬間、私は軽く息を吹きかけ、“普通”を空中へと飛ばした。
 まるで孫悟空が自分の毛から分身を作るように。
 吹き飛ばされた“普通”を、彼女の瞳が追う。
 やがて遠くを見つめるような、懐かしげな表情になった。
 そして再び私を見つめると、その顔にはもはや“普通”の色合いはなかった。
 まるで新しく生産されたばかりのモデルのように――
 あるいは、本社のエンジニアが最新バージョンへとアップデートした直後のように。
 彼女の中のソフトウェアが完全に書き換わったのだと、私は直感した。
 同じハードウェアでありながら、もはや別人――別のヒューマノイドに変わっていた。
 そして、まるで記憶をリセットされたかのように、彼女が口を開く。
「こんばんは」
 ――さっきは“こんにちは”だったのに。
 なぜ“こんばんは”なのか。
 私は思わず周囲を見回す。
 空を見上げる。まだ夕暮れ前だ。
 それでも彼女に視線を戻し、同じ言葉を返す。
「こんばんは」
 その瞬間、世界の光が静かに変わった。
 物理的な時間はまだ昼下がり。
 けれど、私たちのソフトウェア的な背景は――確かに、昼から夜へと移り始めていた。

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