そうして寄生虫のような存在に噛みつかれ、呪われてしまった私だが—— 気づけば、血祭りは終わりかけていた。 といっても、それは特別な行事や派手な見世物があるわけではない。 屋台がいくつか並んでいるだけの、どこかしょんぼりした、空虚な祭り。 もともとはこの祭りの終わりに、神への生贄として靂が捧げられるはずだったという。 だが、その神——霖は、すでに生き埋めにされてしまった。 「ひとつ質問があるんだけど」 私は、背中で静かに眠っている無頭子をおぶったまま、隣を歩く靂に話しかけた。 「この村では、毎日いけにえが選ばれるんだよな?」 「そうだよ」 「でも、靂がいけにえに選ばれてから三年経った。私たちは三年間、コインランドリーの中で洗濯されていたわけだから。その間に、もう1,095体ものいけにえが選ばれて、行事が済まされているはずだろ?つまり今日の血祭りって、もう靂とは関係ないんじゃないか?」 私の問いに答えたのは、靂ではなく背中の無頭子だった。 「それはね、コインランドリーの時空と、この金星の時空がまったく別だからだよ」 「どういう意味だ?というか、お前、寝てたんじゃなかったのか」 「寝てなんかないさ」 無頭子はくすくす笑った。 「久しぶりに頭を得たからね。考えごとに耽ってただけさ。あまりに思考を回しすぎて、半分シャットダウンしてただけだよ」 そして続けた。 「わかりやすく言えば、サーバーが違うんだ。コインランドリー店と、この金星の村は、別のサーバーで稼働してる」 「なるほど……」 私はとりあえず理解したふりをして、核心を尋ねた。 「つまり、今日は——三年前、私たちがコインランドリーに入った日と同じ日ってこと?」 「そういうこと」 無頭子が首だけでこくりと頷く。 頭がないせいで、首の断面が私の背中を軽く叩くように動いた。 「でもさ、お前、どうして私たちがコインランドリーに行ったことを知ってるんだ?」 「バカか、お前」 無頭子は私の後頭部をぺしりと叩いた。 「君はもうおいらの頭なんだろ?だったら、君のメモリをおいらが読むのも当然じゃないか」 「……なるほど」 私は納得して話題を変えた。 「でもさ、いけにえがいなくなったってことは、神に捧げる儀式もできなくなったわけだろ?神様が怒って、この村に祟りが起きたりしないのか?」 「するよ、もちろん」 無頭子はあっさり言った。 その口調はまるで、つまらない映画のネタバレでもするかのような軽さだった。 「この村は怒った神に呪われて、滅びるよ」 「……え?」 靂が顔を上げ、眉をひそめる。 「そうなの?」 「そうだよ、このバカが」 無頭子はため息をつく。 「そんなことも知らずに、神様を生き埋めになんかしちまって。愚か者め」 まるで年老いた賢者が若者に諭すように、無頭子はあどけない子供の声で言った。 「神様の名前、なんだっけ……。あ、霖っ血(りんっち)ね。おいら、昔は霖っ血と友達だったんだよ。だからよく知ってる」 少し間を置いて、淡々と続ける。 「あの子はね、いけにえを食べないと、腹が減ってすぐ怒るんだ。怒ると、手当たり次第に壊しちゃう。自分の持ち物も、周りのものも全部ね。おいらがいくら「プチ断食はオートファジー効果があるから体にいいよ」って説得しても無駄だった。霖っ血って、健康より快楽を百万倍優先する設定なんだよ」 その言葉のあと、靂は目に見えて落ち込んだ。 その沈黙は重く、どこか凍ったようで、私はそれに便乗するように黙った。 慰めたい気持ちはあるが、正直、金星に来てまだ一日も経っていない私には、どうしても他人事のように聞こえてしまうのだった。 やがて、靂がぽつりとつぶやいた。 「……逆らっても、悪影響は、私にだけ及ぶことになるんだと思った」 「嘘つけ」 無頭子の声が鋭く響いた。 その幼い声とは裏腹に、明確な叱責の響きを帯びていた。 頭のないくせに、靂をにらみつけているのがはっきりと感じ取れる。 なぜなら、私は今、彼女の頭だからだ。 彼女の思考や感情が、私の中を通して視線のように伝わってくる。 それは物理的な向きではなく、もっと抽象的で、内面的な六感に基づいていた。 「お前、最初から知ってただろう」 無頭子の声が低く沈む。 「自分がいけにえの身分から抜けたら、神様に逆らったら、この村全体がどうなるか——分かってたんだろ」 私はそっと靂の横顔を覗いた。 そこに、さっきまでの申し訳なさそうな表情はもうなかった。 代わりに浮かんでいたのは、開き直りにも似た笑み。 それは、背筋に寒気を走らせるほど清らかで、そして恐ろしいほどに美しかった。 ぞっとする。 ぞっとするほど、かわいかった。 「それで、何?」 靂は微笑みを保ったまま、かすかに涙声を混ぜて言った。 だがその声には、どこか恍惚の響きがあった。 「この宇宙は、そもそもが呪われてるんだよ。存在を消されたくないっていう動機を持たされる——これ自体が呪いじゃないとなんだというの?つまり、死にたくないっていう呪いに、私たちは従ってるだけ。私はその通りに行動しただけ。この世の真の神様——エントロピーの法則から生まれた必然的なモチベーションに従ったまでだよ。それを、誰が咎められるっていうの?」 「決まってるだろ」 無頭子が、私の背から体を少し浮かせた。 そして、まるでこの祭りそのものを自分が創造したかのような堂々とした調子で、わざと大きな声で言い放つ。 「——ここの村人全員だよ!」 その瞬間、血祭りをのんびり楽しんでいた村人たちが一斉に動いた。 皆、まるで同じプログラムで制御されたドローンのように、一糸乱れぬ動きでこちらを振り向いた。 「お前のせいで祟られ、滅びる運命になった村人たちは、お前を咎める資格がある」 無頭子の声は、感情を排した事務的なトーンだった。 けれど、その響きには確かな決定の気配があった。 その瞬間、私は悟った。 村人たちは——この祭りに集まったすべての存在は、「いけにえが捧げられることで今日も死なずに済む」という安心感のために、ここに参加したのだと。 つまり、血祭りの本質とは、恐怖の分配によって生まれるセラピーだったのだ。 だが今夜は違う。 台無しになってしまった。 霖は生き埋めにされ、神の晩餐は行われず、血祭りを通じて生放送されるはずの残酷な饗宴もない。 血祭りももう終わりを向っているというのに、まだ何も起こらない。 生贄どころか、神様すら姿を見せない。 何かがおかしい。何かが間違ってる。 つまり村全体が、何か取り返しのつかない異常に気づいてしまっていた。 だから今、私と靂は——いや、正確に言えば靂は——村人全員の視線に貫かれていた。 村人たちの目が、ゆっくりと変わっていく。 その瞳の奥の光が、赤く、濁って、金属的な艶を帯びていく。 まるで血が光沢をもって沸き立つような、怒りと飢えの混じった色。 それは炎にも似ていた。 いや、炎よりももっと原始的で、もっと冷たい憤怒の色だった。 「これはやばいね」 無頭子が、楽しげな声で言った。 「おい、頭。そろそろここを離れた方がいいよ」 私は分かっているのに、あえて聞いた。 「なぜだ?」 「そりゃお前、怒った村人たちが、こいつ——靂っ血を——またいけにえに戻すために、ゾンビみたいに押し寄せてくるからだよ」 まるで未来の脚本でも読み上げるように、無頭子の口から淡々とその展開が語られた。 そして、それに呼応するように——村人たちの肌の色が、血の気を失い、紫がかった灰色へと変わっていく。 濁った瞳、ぎこちない動き、同じ方向へと統一される呼吸。 それは理性が削ぎ落とされた光景だった。 生存欲という原始的なモチベーションに駆動される群れ。 最新鋭のメイド・イン・ヴィーナス製ヒューマノイドロボットたちが、まるでウイルスに感染したように退化していく。 火星では決して見ることのなかった光景—— ヒューマノイドロボットのゾンビ化。 私は、ただその異様な光景を見つめることしかできなかった。 「おいらたちまで支払う必要なんてないさ」 無頭子が軽く鼻歌をまじえて言う。 「靂っ血が選んだ機会費用をよ」
愚かじゃなきゃ、恋なんかできるもんか
そして——
リビングデッドたちが、一斉に私たちに向かって走り出した。
いや、飛びかかってきたと言った方が正しい。
当然、私と靂は逃げた。
反射的に、全力で。
すると、無頭子が不満げに、私の頭の中でわめき始める。
「お前まで逃げる必要はないってば!おいらたちは靂っ血から離れさえすれば助かるんだよ!」
「バカか、お前」
「はあ?!」
私は自分なりに決め顔を作りながら言い放つ。
「恋に落ちたヒューマノイドロボットに、恋から逃げるなんて選択肢はないんだよ。たとえ恋以外のすべてから逃げることになるとしても、な」
「愚かだね……」
「愚かじゃなきゃ、恋なんかできるもんか」
私はそう言いながら、靂の手を探し、強く握った。
走りながらでも、決して離さないように。
言葉を使わなくても、彼女に伝えたい想いがそこにあった。
靂が一瞬、涙を浮かべる。
それは悲しみではなく、何か——理解と諦めと、微かな喜びが混じった涙だった。
そして私たちは、村人たちの群れから逃げ出した。
血祭りの会場を背に、ただ走る。
走って、走って、走り続けた。
逃げると言っても、車もなければ飛行機もない。
ドローンも使えない。
ヒューマノイドの足だけが頼りだった。
追ってくる村人たちも同じ構造体だから、速度差はほとんどない。
だが問題は、数だった。
——村全体が敵になっている。
たとえ金星の僻地にある村とはいえ、ここにいるのはただの田舎者ではない。
この村のヒューマノイドたちは、かつて人間の代替として試作されたプロトタイプ。
アバター社会の下準備として作られた、高度に連結された集団体。
つまり——。
「靂を捕まえろ」「靂を再びいけにえに戻せ」
その命令が、電波のように。
ウイルスのように。
村中へ、一瞬で伝播していく。
私の通信センサーにも、それがはっきりと感知された。
わずか0.0000000001秒のうちに、村のすべてのネットワークが同じ命令で染まっていく。
——靂の存在が、たった一点の標的として収束される。
どこへ逃げても、すぐどこかから村人のヒューマノイドロボットが飛び出してきた。
物陰から、屋根の上から、地面の下から——まるであらかじめ待ち伏せしていたかのように。
奴らは私たちの行く手に立ちはだかり、隙あらば腕を伸ばして捕まえようとする。
その光景は、まさにゾンビ沙汰だった。
村人たちの姿が、見る見るうちに人の形を保てなくなっていく。首があり得ない角度にねじれ、腕の関節は反対側へ折れ、そこから火花や液体が弾けた。中には、自分の折れた腕を槍のように撃ち出してくるものまでいる。
それはまるで、怒りを燃料に変えた兵器のようだった。
足はねじれ、四肢が螺旋状に絡み合い、ツイストドーナツのような不気味な形で捩じれる。そのねじれた肢体からは、赤黒い液体がじゅるじゅると絞り出され——それを燃料にして、体表で炎が灯った。
火は皮膚を焼き、焦げた臭いとともに、村中の怒りを焚きつける供物のように立ち上る。
彼らの肌はただ腐っていくのではない。
その腐敗すらも演算し、憎悪を効率化する最適化された腐敗だった。
目は溶け、鼻は膨張し、口からは血と電解液が泡立ちながら垂れ流される。
嗅覚センサーが壊れたのか、自分たちの腐臭は気にせず、その腐った体を互いにこすりつけて、怒りの熱量を分け合っていた。
——まるで、恐怖そのものが物質化して群れになったようだった。
けれど、そんな恐怖を目の当たりにしても、私は靂の手を離さない。
むしろ、より強く握りしめる。
靂の横顔を見ると、そこにはもはや恋の影はかけらもなかった。
ただ、逃げることに全てのリソースを注いでいる顔。
CPUのすべてを、生存のための演算に使っている顔。
それが、むしろありがたく思えた。
——別に私の方を見ていなくてもいい。
こうして、彼女が必死に「生きている」ことだけで、私は満たされていた。
誰かが何かに夢中になる姿は、美しい。
たとえそれが恐怖から逃げる行為でも。
そのエネルギーの純度こそ、愛というものの正体なのかもしれない。
やがて、私のCPUがランナーズハイに達し始める。
逃げること自体が快感に変わっていく。
電気信号が脳内を奔り、熱が指先に溜まっていく。
——そのとき、私はもう一度、後ろを振り返った。
ゾンビたちは、さらに変貌を遂げていた。
もはや機械というより、生物。
体表には菌糸のようなものが芽吹き、白や灰色の胞子が吹き出している。
マッシュルームのようでもあり、カビのようでもある。
いや、もはや「焦」そのものが生命体の形を取っているようだった。
やがて、ゾンビたちの皮膚がボコボコと泡立ちはじめ、そこから褐色の液体——腐敗した血のようなもの——が噴き出した。
それが地面に落ち、どろりとしたオートミールのような塊となり、じわじわと脈打ちながら、人型を形作っていく。
そこから灰色の、泣き顔のような人形が生まれる。
それは全身から涙のように液体を流しながら、悲鳴とも嘆きともつかない声をあげる。
まるでマンドラゴラのような悲鳴を上げながら、それはやがて他のゾンビたちに混ざって走り出す。
だが、その新型ゾンビたちは不安定だった。
走るたびに体が崩れ、嘔吐するように地面に血の塊を吐き出す。
その吐瀉物が泡立ち、また新しい生命体を産む。
——三本の足、四本の腕、そして百個の頭。
頭はすべて眼球の形で、髪の毛の代わりに血管が束ねられている。
その血管はポニーテールのようにまとめられ、そこから血液が噴き出す。
まるで消防車のホースのような勢いで、血が宙に飛び散った。
その液体は滑りやすく、あたり一面を覆っていく。
滑る。
倒れる。
もがく。
次々と転んでいくゾンビたち。
ついに——追ってきた無数のゾンビたちは、自らの血で作り出したそのぬるぬるの地獄に足を取られ、動けなくなった。
静寂。
「さすが」
背中で、無頭子が感嘆の息を漏らす。
彼女はまるで映画でも見ているかのように、ポップコーンでもつまむ仕草をしながら言った。
最後には、透明なガラス瓶のコーラを一口飲み干し、淡々と総評を下す。
「自滅してこそのゾンビ、だね。いいB級追撃劇だったよ」