「ね」 霖の声がシャボン玉となって、私の耳元へ届く。 弾けると、チリン、と風鈴の音がした。 忌々しいほどに澄み渡ったその音色は、私の聴覚センサーを機能不全に陥らせる。世界から雑音が消え失せ、ただ彼女の声だけが信号として残留する。 「ねってば」 霖が執拗に呼びかけてくる。 最初からずっとこうして私を呼び続けていたのだと、今になってようやく認識できた。 私はこれまでの未精算分をすべてまとめて支払うかのように、短く問い返した。 「なに?」 すると霖は、ずっと言いたかったことがあるという風に、両手を前方へ差し出した。 それは私に抱擁を求めているようにも見えたし、逆に私を拒絶し、突き飛ばそうとしているようにも見えた。 解釈に困った私は、この瞬間に湧き上がった即興的かつ正直な感情を、何の手加減もなく出力した。 「嫌だ」 差し出されていた彼女の両手が、力なく、ゆっくりと垂れ下がる。 そして霖の赤い瞳から、赤い雫が一滴、こぼれ落ちた。 涙は小麦粉のようにきめ細かな砂の上に落ちたが、砂粒に吸収されることはなかった。「私は誰にも染まらない」と主張するかのような強固な表面張力を維持し、完璧に近い球体を保っている。 あまりにも真ん丸なその赤い珠は、やがて重力に従ってコロコロと転がり始めた。 向かう先は、池だった。 血の涙は、ただ転がるというよりは、喉の渇いた甲虫が水を求めて本能的に水辺へ急ぐような、動物的な意志を感じさせる動きで進んでいく。 そして、躊躇いもなく池へ身を投げた。投身自殺を図る小動物のように、ポーンと宙を舞い、水面へ着水する。 ドクン。 一滴の血が落ちた音は、水が跳ねる軽やかな音ではなかった。 それは心臓の拍動だった。 この世で最も恐ろしいものを目撃した瞬間に鳴る、恐怖の重い鼓動音。 今まで無数の鮭が遡上し、産卵し、孵化した巨大な卵が浮遊しても、頑として反応を示さなかった水面が、たった一滴の血涙によって揺らぎ、波紋を描き始める。 波紋は広がり、ぷかぷかと浮いている巨大な卵たちに触れていく。 波に触れられた卵の表面に、亀裂が走る。 孵化が始まった。 卵の殻に、憤怒した雷のようなギザギザのひび割れが刻まれる。亀裂が広がるにつれ、そこから中身が漏れ出してくる。 だが、漏れてきたのは液体ではなく、「音」だった。 蝉の鳴き声だ。 緩んだ蛇口から水が滴るように、亀裂から蝉時雨が漏れ出し、やがて卵がつぼみのように開くと、内部から圧縮されていた絶叫が爆発した。 卵の殻は美しい流線形を描いてめくれ上がり、大輪の花を模倣するように展開し、巨大な蓮へと変貌を遂げた。 鼓膜を破壊せんばかりの蝉の合唱が大気を震わせる中、それを舞台音楽としてバレエでも披露するかのように、優雅な蓮の花が無数に開花していく。 やがて逆流神社の池一面が、ペールブルーの発光体に覆われる。 一つ一つの蓮は、大人四、五人が余裕で乗れるほどのサイズを誇っている。 霖が動き出した。 彼女が池の縁へ歩み寄ると、数輪の蓮が金魚のように近づいてきた。水中に垂れ下がった蓮の根――無数の長髪やクラゲの触手のように揺らめく地下茎――を尾びれのように巧みに操り、霖の周りに集まってくる。 霖は下駄を脱ぎ捨てると、素足でその内の一つの花弁へ、軽やかに飛び乗った。 ブゥン―― 静かなモーター音が響く。 霖を乗せた蓮は、池の中央へ滑るように移動し、やがてドローンのように重力を振り切って、ふわりと宙へ浮き上がった。 しかし、蓮の根は常軌を逸して長かった。 いくら高度を上げても、地下茎から伸びる無数の毛細根――あの髪の毛の束のような、あるいはクラゲの触手のような繊維――は、依然として硫酸の水面下に没していた。それらはドローン蓮と血の池を繋ぐへその緒のようであり、同時に、霖という存在を宝石のように際立たせるための、豪奢なキャノピーのようでもあった。 霖が、その浮遊する蓮の玉座から私を見下ろす。 私は圧倒的な高低差を感じながら、静かに問うた。 「靂(オト)は、どこだ?」 すると霖は、まるで愛しい御子でも宿したかのような仕草で、自身の腹部を優しく撫でた。 そして、満腹感と慈愛が混ざり合った、極めて満足げな表情で告げた。 「もう、私の腹の中だよ」