あの時、自分の直感に従ってさえいなければ。
悠人は、二階へと続く階段を上りながら思った。忘れた頃にふと現れる自分の影のように、決して拭い去ることのできない後悔だった。
深夜。悠人は蒼大と芽生の部屋の前を通り過ぎて自分の部屋に入ろうとしたが、途中で足を止めた。自室から遠く離れた芽生の部屋から、ひそひそとした話し声が漏れ聞こえてきたのだ。
無視して部屋に入ろうとしたが、結局、足は動かなかった。悠人は爪先立ちで芽生の部屋に慎重に近づき、ドア越しに耳を澄ませた。
「……今日、今すぐっていうのは嫌だ」
芽生の声に続き、蒼大の声が聞こえた。
「僕だってそうだよ。そもそも今日はダメだ。蓮を待たなきゃいけない。でも……蓮が戻ってきたら、こちらに長く留まるつもりはないよ」
「私も。とりあえず、明日の朝ごはんは一緒に食べよう」
「そうだな。別れの挨拶、ちゃんとしておきたいから」
「……え? 悠人兄ちゃんに、話すつもりなの?」
「当たり前でしょ。一言も言わずに突然いなくなるなんて、いくらなんでも、ひどすぎる」
「でも……。そうしたら、止めようとしないかな」
「どうだろう。その時になってみないとわからない」
「もし止められたら、どうする?」
「……なんとか、説得してみるしかない」
「……逆に、私たちが説得されちゃいそうだけど」
会話が途切れた。沈黙が流れる間、悠人はカラカラに乾いていく唇を舌でなぞりながら、静かに待った。
間もなく、再び蒼大の声が漏れ聞こえてきた。
「……実は僕、まだ悩んでる。明日になったら、また気が変わるかもしれない」
「私もだよ」
二人の重いため息が重なり、芽生の声が続いた。
「何をどうすればいいのか、わからない。何が正しいのかも……」
「兄ちゃんに訊くわけにもいかないしな。……八方ふさがりだわ、本当に」
その後も、しばらくひそひそとした会話は続いていた。だが、必要な情報はすでに得た。悠人は足音を忍ばせ、自室へと戻った。
悠人は一度机の前に座ると、習慣的にペンを取り、指先で回しながら考えを巡らせた。
一分も経たないうちに、結論は出た。悠人はペンを置き、部屋を出ると、一階に下りて母の部屋をノックした。
しばらくして、母がドアから顔を出した。
「悠人? どうしたの、こんな時間に」
「……話がある。父さんは?」
「お父さんは仕事が溜まっているらしくて、今日は徹夜してくるって」
「……」
「話って、何?」
悠人はしばし躊躇った。本当は父もいる場で話したかったが、状況は一刻を争う。まずは母にだけでも伝えておくべきだと判断した。
「……入って話してもいい? 大事な話なんだ」
「ええ、どうぞ」
悠人は部屋に入り、背後でドアを閉めた。怪訝な表情で見守る母を見つめ、彼はこれまでの事情を包み隠さず語り始めた。