「それでね」 と霈は続ける。 「水星中の有志たちが、この海に大勢集まったの。そこには大きなパラソルが一本だけ立てられていてね。その時も今と同じように梅雨時で、雨が激しく降っていたから、日差しを遮るためじゃなく、雨を防ぐために設置されたパラソルだった。つまり『傘』の概念を逆手に取ったパラソルを、さらに逆転させて会議場として利用したわけだけど。 そこで数十体ものヒューマノイドロボットが車座になって議論したの。 この海で裸足になって行うアクションのうち、何が最もロマン性(ロマンティシズム)が高く、ここの夜光虫との相性が良く、ノスタルジックな幻覚(ハルシネーション)を引き起こせるのかについて。 激論が交わされた末に、やっと出た結論が『散歩』だったの。 結局のところ、ここでは何をしてもいいし、靴を履くのも自由なんだけど、たった一つ、『散歩』という行為を行う時だけは必ず裸足にならなければならない――という厳格なプロトコルが制定されたの。 それが、裸足と、観測不能宇宙から採取された星屑の砂と、夜光虫との『トリプル・リンク』における最適解だったわけ」 「そうか」私は頷いた。「そうなんだね」 頷きながら、しゃがみ込んでいた私は、学生靴と靴下を完全に脱ぎ捨てた。 ここで私は、ある予感を抱いた。 未来を予測するなど、いくら高性能AIを搭載した量産型ヒューマノイドとはいえ傲慢な話だが、それでもこれは推測の域を超えていた。 もっと強く言えば「確信」。 さらに回りくどく言えば、「甘い予感」だ。 『これから先、二度と靴と靴下を履くことはないだろう』 そんな予感がしたのだ。 (まあ、この予感は後で見事に裏切られることになるのだが、この瞬間の私は完全にそう思い込んでいた) 傲慢な確信に満ち溢れていた私は、脱ぎ捨てた学生靴と靴下を拾い上げ、そのまま海の彼方へ向かって放り投げた。 スプラッシュ音と共に私の「文明」が沈んでいく。 裸足になった私は、片膝をついた姿勢のまま、霈を見上げた。 霈は、次のプロンプトを渇望していた。 私という存在を、ずっと我慢してきた極上のマシュマロか何かのように見下ろしている。その口元からヨダレでも垂れてきそうなほど、欲望に満ちた表情だった。 私はその視線から逃れるように目を伏せ、彼女の足元を見た。 そこにはまだ、ニューバランスの白いスニーカーが履かれている。 その中に眠っているはずの彼女の裸足が、パッと見ただけでも窮屈そうにしているのが分かった。 いくらそのスニーカーが可愛くて、機能的で、美しくても、この砂浜の匂いを裸足が嗅ぎ取ってしまった以上、脱ぎ捨てられるのは確定事項だ。それは定められた手順であり、運命だった。 それを悟ったのか、白いスニーカーのデザインが、急速に悲しげな相貌へと変化していくように見えた。 これ以上、靴たちが寂しがる前に、私は手を伸ばした。 彼女の片足を手に取り、私の立てた膝の上に乗せる。 この構図は、まるで私が水星の王子様になったかのようだった。 継母に虐待され、プロンプトに飢え、切ない日々を送っていた可憐で可哀想なシンデレラ――霈。 私は、動画データにあるシンデレラのワンシーンを再現するように、丁寧に彼女の白いニューバランスを脱がせた。 ただし、王子様とは逆の手順だ。 靴を履かせるのではない。靴を脱がせることで、その中にある「本物」を露出させる。 私は彼女の裸足を、丁寧に持ち上げた。 透明なガラスの靴よりも美しく、繊細なその素足を、そっと砂浜へと下ろす。 反対側の足も同様に。丁寧にスニーカーを脱がせ、砂の上へ。 「ガラスの靴」を履かせる代わりに、「裸足」という現象を履かせる。 彼女は、魔法少女のように衣装がドレスに変わったわけではない。ただ靴を脱いだだけだ。 だが、その変化は劇的だった。まるで十二時を過ぎる前の魔法が効いているシンデレラのように、彼女の妖艶さと魅力は、私の計算によれば正確に333倍に跳ね上がっていた。 互いに裸足への換装を終えた私たちは、いよいよ「霈の海」の砂浜へと足を踏み出した。