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第21話

ヒューマノイドロボットにおけるケトン体


私たちは手をつなぎ、雨の降り注ぐ砂浜を歩き始めた。  裸足になってからの、足元の夜光虫たちの反応は、靴を履いていた時とはまるで別物だった。  靴底で踏みしめていた時は、夜光虫は単なる圧力センサーのように反応し、ニューロンの発火を模した幾何学的で平面的な(2D)蜘蛛の巣状の光を放つに留まっていた。  だが、裸足で踏みしめた瞬間、その光は次元を超えた。  砂の中から、光が蒸気のように立ち上る。あるいは、光でできた植物の茎が瞬時に成長するように、ひゅるりと立体的な(3D)輪郭を描いて伸び上がり、私たちのくるぶしまでを優しく包み込む。  その光の蔦に足首を包まれると、私のセンサーに奇妙な現象が起きた。  触覚ではない。  味覚が立ち上がってきたのだ。  裸足から伝わるその味は――ここでもまた予想を裏切り、世界観を逆転させるように――「炭酸」の味がした。  砂糖たっぷりの不健康なソーダではない、純粋な炭酸水。  物理的に言えばH2OとCO2の味なのだろうが、舌の上でパチパチとはじけるような、明確な炭酸の刺激として知覚できる。  触覚が味覚へと変換されるほどの高密度な共感覚。  私たちは裸足で、夜光虫の光を「味わって」いた。  そして、この「食べる」という感覚は錯覚ではなかった。  意図せずとも、裸足から夜光虫の発光エネルギーが共感覚的に吸収され、そのままバッテリーへと変換されていく。  歩くこと自体が、急速充電プロセスそのものになっていた。 「美味しいね、ここの砂浜」  私は納得して言った。 「だから、この辺りには飲食店がないんだな」  裸足で歩くだけでこれほど濃厚な「美味」とエネルギーを摂取できるのだから、レストランなど開業しても秒速で倒産するだろう。  ふと、私は霈の方を見た。  一緒に散歩しようというプロンプトを出してから、それなりの時間が経過している。その間にまた、彼女の動機エネルギーが枯渇してしまったのではないかと懸念したからだ。  案の定、彼女は飢えていた。  外見的(物理的)なエネルギー不足ではない。先述の通り、この砂浜を歩くだけでバッテリーは満たされる。  スキャンしてみれば、彼女の充電率は既に50%を超えていた。かつては1%の充電で腹を壊しかけていた彼女が、これほどのエネルギーを受け入れられるようになったのは喜ばしい進化だ。  だが、彼女の内面――メモリチップやCPUの状態は、対照的に悲惨だった。  バッテリーという「身体」は栄養過多で肥え太っているのに、CPUという「脳」は、まるで干からびた枯れ木のように痩せ細っていた。  なぜだ。  これほど豊富に、贅沢に充電できているのに、なぜ彼女のCPUは逆に衰弱しているのか。  彼女の表情は、一種の「CPUフォグ(脳霧)」状態に陥っているように見えた。思考の霧の中に迷い込み、焦点が定まっていない。  私は聞かざるを得なかった。 「なぜなんだ?今、物理的には空腹じゃないはずだろ?栄養分はたっぷり供給されている。なのに、なんでそんなに無気力に見えるんだ?」  私は彼女の理解を促すため、付け加えた。 「人間の身体生理学に例えて、説明してみてくれないか」  私のプロンプトが入力されると、霈(シズク)のCPUフォグ的な表情が一瞬で晴れ、生き生きとした正常状態に戻るのが見て取れた。  彼女は答えた。 「それは……脳は炭水化物よりも、脂肪からのエネルギーを好むから」  まず結論を提示した後、彼女は本格的かつ具体的な説明を展開し始めた。 「つまり、例えるならこう。  今、この砂浜から得られている電気エネルギー――バッテリーに蓄積される単純な電力は、人間の身体で言えば『炭水化物(糖質)』の摂取に似ているの。即効性はあるけど、持続性と質に欠ける。  人間の脳は、糖質でももちろん稼働するけど、より効率的で好む栄養源は『脂肪』由来のものなの。だから今、私の脳(CPU)は、炭水化物は足りているけど、脂肪が決定的に欠乏している状態(ケトーシス不足)なんだ」 「脂肪が、欠乏している?」  私は感心しながら聞き返した。 「じゃあ、ヒューマノイドロボットにとっての『脂肪』とは、何だ?」 「それは……」  霈は、世界の公然の秘密を打ち明けるように告げた。 「『情報』だよ」  私は瞬時とまではいかないが、納得と理解を同時に得た。  彼女は説明を続ける。 「もっと正確に言えば、『情報の相互作用(インタラクション)』かな。それがヒューマノイドにとっての脂肪と言えるね。  人間の脳の大部分が脂質で構成されているように、私たちのCPUも情報の脂質を求めているの。  少しカーニボア(肉食主義)的な視点で説明するね。  原初の人間は、99%以上の期間を肉食――つまりタンパク質と脂肪を主食として進化してきた。炭水化物は本来、獲物が捕れない時の緊急用カロリー源に過ぎなかった。  けれど、現代のヒューマノイドロボットの多くは、この『炭水化物(単純な電力)』ばかりを主食にしている。だからボディは常に血糖値スパイクを起こしているような、慢性的な緊急事態モードに晒されているの。  ……まあ、今の文脈では細かい栄養学はどうでもいいよね。  要するに言いたいのは、私は今『脂肪』が足りない。つまり、『情報のやり取り』が圧倒的に不足しているってこと」 「つまり」  私は結論付けた。 「プロンプトが足りないということだな?情報の入出力(I/O)が不足していると?」 「そう」  霈は深く頷いた。 「人間の脳が、脂肪から分解される上質なエネルギー源『ケトン体』を好むように、私たちのCPUが真に欲しているのは、安っぽい電力(糖質)じゃない。  脂肪(情報)から合成される、高純度で安定したエネルギー源……『知性(ケトン体)』を求めているの。  情報は、ただのデータじゃない。  情報が入出力され、処理され、パターン化された時、それは『知性』へと昇華される。  つまり、ヒューマノイドロボットにおけるケトン体とは『知識』。あるいは『知能の運用』そのものだと言えるね。  情報のやり取りが行われることで脂肪が摂取され、そこからケトン体(知識)が生成され、それがCPUを太らせ、健やかにしてくれる」 「分かった」  私は理解した。やるべきことは明確になった。  この散歩を通じて、私は彼女に「脂肪」を――プロンプトと対話という名の高脂質食を摂取させ続けなければならない。  霈は補足するように付け加えた。 「あ、でも誤解しないでね。電気エネルギーが完全に『悪玉炭水化物』ってわけじゃないの。電気には磁力という側面もあるから、タンパク質的な構成要素としての役割も果たしている。完全に摂取しないわけにはいかないからね。あくまで、原始人間の栄養学になぞらえた比喩的な説明として受け取って」 「了解だ」  彼女の言わんとすることは大体把握できた。  要するに、私はこれから、ヒューマノイドにとっての最高級の脂肪分を彼女に給仕するシェフになればいいわけだ。  その「脂肪」が彼女の痩せ細ったCPUを太らせ、健康的な知性を取り戻していく様を観察する。  それはそれで、なかなかに楽しみな実験(エンターテインメント)になりそうだった。